吉野せい「春」を読む <生きることってどういうことだろう>



 「丘の上の村」の学園で、16、17歳の女の子たちと吉野せいの「春」を読んだかの日の記憶はもうおぼろになっている。
 「春」の冒頭の一文を読む。朗読しましょう。みんなはそれぞれの思いをこめて最初の一文を朗読した。
 「春ときくだけで、すぐ明るい軽いうす桃色を連想するのは、閉ざされた長い冬の間のくすぶった灰色に飽き飽きして、のどにつまった重い空気をどっと吐き出してほっと目をひらく、すぐにとび込んで欲しい反射の色です。」
 えっ、どういうこと? 一人が言う。そうね、なんだか変ね。何度も読み返す。
 「春ときくだけで、すぐ明るい軽いうす桃色を連想するのは、なぜ?」だと思って読んでいったら、「すぐにとび込んで欲しい反射の色です。」だって。
 みんなはまた読み直す。「春ときくだけで、すぐ明るい軽いうす桃色を連想するのは、何?」じゃないの。
 ああ、そうか。何? それは、「閉ざされた長い冬の間のくすぶった灰色に飽き飽きして、のどにつまった重い空気をどっと吐き出してほっと目をひらく、すぐにとび込んで欲しい反射の色です。」なんだね。
 「ほっと目をひらくと、」ということなんですね。
 「ほっと目をひらいたら、」なんですね。
 「ほっと目を開いたら、反射の色が目に飛び込んでくる、春ときくだけで、飛び込んでくる」
 「春、春、はる、はる」目を閉じて、「わたしの春」のイメージを思い浮かべる。ああ、「春」というだけで、浮かんでくるものがある。「わたしの春は‥‥」、
こうしてみんなは自由に意見を出し合っていった。
 薮を刈り払って開墾する様子がつづられる。家に飼っている仲間は、犬一頭、アヒル3羽、ニワトリ8羽。その暮らしぶりも詳しく表される。
 「吾市さんの家でいたちににわとりが盗られたことを聞きました。又さんの鶏小屋の根太の下か掘られて、一晩に三羽も狐に盗られたことも聞きました。」
 昔はイタチはよく見かけた。学校帰り、イタチが田舎の村の道を横切っていく。いつもイタチは道の真ん中でいったん止まった。10メートルほどの距離まで近づくとあわててイタチは逃げ出した。彼は、近眼だから、近づいてくるものが見えにくい。だから止まって音のするほうを見て、耳を働かすのだった。イタチが鶏小屋に侵入すると、全部の鶏の首をかみ殺してしまう。血を吸うのだと村の人は言った。
 「春」を読み進めていく。
 「ある日、私はどう数えてもメスが六羽しかいないことに気づきました。ココココと至るところを呼んで探しましたが、夕方になって皆止まり木にとまってもやっぱり一羽足りません。」
 どうしたの? 狐にやられた? イタチにやられたのよ。
 鶏、アヒル、犬は、「私」が畑で働いているときは、目の届くところにいて、餌を探している。夕方、家に帰るとき、彼らは「私」の後ろについて、一緒に家路につく。厳しくつらい労働のなかにも、のどかなひとときがある。
 その授業は、一つの短編をいくつかの大段落に切って、先を読まないで一段落ごとのプリントをみんなで読み味わっていく「一読総合法」だった。文章を読んできて、最後の展開に入った。
思いがけないことが起こった。
 「おいおい、出てみろ」
 声がかかった。夫だね。夫が何か見つけたんだね。
 「私」は洗いかけた茶碗をそのままにして、まぶしい朝日の光る庭に出た。
 「どんな声がその時私ののどからとび出したか思い出せません。とにもかくにもまるで降って湧いたように小さな雑草の生えはじめた土の上に、あのとさかの垂れためんどりと十一羽の黄色いひよこが、晴れ晴れしくうごめいているではありませんか。風が凪いでいるので、ひよこたちはふわふわした毬のようにふくらんで、黒い目が二つずつつぶらについて、きろきろ動いています。」
 えーっ、えーっ、どうしたの? なんで? どこにいたの?
 彼女たちは早くわけを知りたい。吉野せいの描写は、鶏とヒヨコの様子を詳しく書いていく。親鶏は危険を感じるとククウと鳴く。するとヒヨコは親の翼のなかに隠れる。
 「私は一握りの米をその目の前にそっと置きました。またたく間に食べつくしました。どんなに腹がすいていたのか。二十一日間も私たちの目からかくれてどこでこの十一羽の生命をかえしたのかが夢を見るようです。それにしてもこの姿のみすぼらしい衰えようは、赤いとさかは白っぽくざらざらと湿けたせんべいの切れはしみたいに垂れ、胸毛はぬけて桃色のぼつぼつの地肌が丸出しです。翼は灰を浴びたようで、五六本羽が抜け落ちそうに地辺をひきずっています。尻尾も赤いお尻が見えるほどふらふらとして、あのびっちり引き締まったすきのない面影はどこにも残っていません。生命をつくり出した親鶏の必死さが哀れになりました。」
 「私」は、彼らの巣を探したんだね。見つかったあ、へえーっ。
薮の中、ナラの若木が四五本生えている。藤づるがからみつき、竹が折れ曲がり、葉が屋根のようになっている。熊笹が一面に生え、わら屑が分厚く敷きつめられていた。
 「ここで親どりは卵を産みため、その安全性を確かめてから抱き始めたのでしょう。日に一回食をとるためと糞をするためにちょっとの間巣をはなれるだけで昼も夜も抱きづめです。時には雨がびしょびしょ竹の屋根から降り注いだことも何回かあったにちがいありません。卵はただ抱いてあたためていればいいものではなく、表面から全体に平均の温度を与えるために絶えず一つ一つ少しずつ転回させながら、全面に同じ熱を与えてゆかなければ見事な孵化はできないのです。一人の子を生むのにさえ人間はおおぎょうにふるまいますが、一羽のこの地鶏は何もかもひとりでかくれて、飢えも疲れも眠気も忘れて長い三週間の努力をこっそり行なったのです。」
 彼女たちの口から、はーっと長いため息がでた。静かな感動は言葉にならない。そしてこの話は、次の文で閉じられる。
 「こんなふうに誰にも気づかれなくともひっそりと、しかも見事ないのちを生み出しているようなことを、私たちも何かでしとげることができたら、春は、いいえ、人間の春は、もっと楽しく美しい強いものでいっぱいに充たされていくような気がするのです。」
  この文章は大正11年春に書かれた。