『石棺』に芽吹く生命


大判の教科書の表紙をめくると、両ページ見開きに大きな写真が掲載されている。
すごい迫力の写真だった。「石棺」と呼ばれるチェルノブイリ原発の原子炉だ。
タイトルに「『石棺』に芽吹く生命」とある。
写真家・本橋成一の撮影した写真と文章だった。チェルノブイリの事故があったのは、いまから25年前。
本橋は、1991年5月に事故後6年経って「石棺」の前に立った。
音のない世界に、放射能測定器がピッピッピと鳴り響く。「石棺」は150メートルの高さにそそりたっていた。


 「内部では、科学者たちが顔を寄せて探究しても、想像できないような化学反応が起きていると言う。
私は写真を写すという仕事さえ忘れて、一刻も早くこの場を離れたくなるのだった。」


本橋は、逃げるようにその場を去って、もうここには二度と来ることはないだろうと思っていた。
東京に帰った本橋が写真を現像してみたら、「石棺」の肩辺りに、何か植物らしいものが生えているのが見えた。
「まさか。」
本橋はそれが気になった。二度とそこには行かないと思っていた本橋だったが、その植物が気になって、翌年再びチェルノブイリへ行く。
200ミリの望遠レンズを持って。


「 ファインダーをのぞいた瞬間、とてもうれしくなった。そこには、丈高く育った、確かな植物の姿があった。
よく見ると、右のほうにも、小さなものが二、三本生えている。
『何ということだ』
 放射能をたっぷり含んだちりの中で、根を張った植物たち。生命の不思議さ、いとおしさである。
 不気味な『石棺』と、植物たちとの対照が胸に迫った。
 よく見ると、私たちの周りに、タンポポの種子の綿毛も舞っていた。」


この教科書のプロローグは、チェルノブイリから始まっている。
そして最初の「表現する技術を考える」の教材は、「チェルノブイリ 新旧の村」(朝日新聞2001年5月11日)の記事だった。
記事は次のような要旨である

ウクライナのボロービチ村は原発から西25キロのところにあった。
森に囲まれ、子どもたちは川で魚をとった。
1986年4月26日、原発が爆発する。
風は西へ吹いた。
住民には何も知らされなかった。
スウェーデン原発の計器が放射能を検知したのは翌々日だった
ボロービチ村の子どもたちが避難したのは5月14日、大人が村を出たのは8月末。
新しいボロービチ村はキエフの南郊にある。
村民はもう元の村へは戻れない。
放射線による病気は今も増加している。


この教科書が出版されたのは2007年、検定を受けたのは2003年。
今年4月、この教科書を使用する生徒たちは、福島原発と重ねながら、この写真と記事を読む。
身近な悲劇を心に受け止めながら、原発と科学と生命を、ひしひしと身にしみて考えることになる。


写真を見つめながら、その植物らしきものを探した。
はて、どれだろう。
あ、これか、なるほど、炉の中断にそれらしきものを見つけることが出来た。

教科書は高校用、東京書籍「国語表現Ⅱ」である。