被災者の避難


毎朝1時間ほど、このところSさんとの会話はもっぱら地震災害のことだ。
春休みの子どもたちが児童館にやってくるまでの間、二人だけまだ寒々とした部屋で向かい合うと、相棒の白髪頭のSさんはたっぷり仕込んできたおしゃべりの種を開陳し始める。
自分で考え出したというSさんのアイデアがあり、それは避難の混乱をなくすための方法で、彼はそれをぜひとも実行すべきだと、市役所の危機管理室の人をつかまえては主張したらしいが、役所の人に聞き流されたとかで、ありゃあだめだとぼやく。
Sさんの考えというのは、避難をスムーズに実行できるように、被災した県と避難民を受け入れる県とがペアを組み、その両者で受け入れ態勢を早急に整えて行動に移すというのがAプラン、
次はBプランで、ひとつの市町村の避難民をあちこちに分散しないで、まるごと、別の市町村が受け入れる、そのとき、被災自治体の役所機能も付随する、というもの。
避難先が各人各家族それぞれてんでばらばらに異なると、連絡もとれなくなり、把握もできなくなる。一つの町の避難民が、役場の職員と一緒に受け入れ自治体に移住すれば市民を把握して効果的に生活を整えていくことができる、さらに仲間と一緒だから心強い、これがSさんの主張だ。
「それはいい。名案だよ、市長に直接、提案したらどう? ぜひやらなけりゃあ。」
安曇野市として、福島県の一町村の原発避難者を役場機能もともに全員受け入れる、それをSさん、市長に訴えなよ、と僕はしきりそそのかした。


日曜日の朝、電話がかかってきた。Sさんからだった。
「市長に電話したよ。吉田さんにはっぱかけられて電話したら市長が出てきて、話ができたよー。」
Sさんは電話帳で調べて電話した。返事の声が市長だった。
SさんはB案を説明した。市長はよく聞いてくれて、検討してみるという話だった、と声が高揚している。
「そりゃあ、よかった、よかった、Sさん、市長の相談役だよー。危機管理室長になったらどうやあ。」
僕は風呂敷を広げて持ち上げる。
Sさんの声はさらに興奮して聞えてくる。


月曜日、朝出勤した。
Sさんが、またまた話をいっぱいかかえてやってきた。
「今朝、また市長に電話して、話をした。」
今日も張り切っている。
今朝は、原発避難民を引き受けるには、松本市といっしょにするといい、信州大学医学部も、松本市の市長も、チェルノブイリ原発被災者援助をしてきた経験を持っている、と話した。


市民の声をいつでも受けいれる市長もなかなかのものだと思う。
市長にはたくさんの情報がやってくる。そのなかでSさんの声がとどいた。
実際に何がやれるのか、やるべきか、協議の上でなされていく対策だ。その見通しはよく分からない。


それにしても、市民からの声を集積して、行動につなげていくには、行政機関とは別のボランティ組織が必要なのかもしれぬと思う。
今のところ、僕は、「子どもを救え」と市と社会福祉協議会に訴え、Sさんはシステム化した避難を市長に訴える。
施策が稔ることを願う。