子どもの遊び 連凧と常念岳



冬休みに児童館で、連凧を作った。
ぼくとサルタさん、そして小学5年生のマコチンスキーの3人で作った。
マコチンスキーはぼくのつけたニックネーム、ほんとはマコト。
サルタさんとぼくは指導員という資格だが、子どもと一緒に遊びをつくり遊ぶことに没頭している。
凧の作り方と材料は市役所の上角さんが準備してくれた。
作り方は簡単で、竹ひごを十字にしたのを骨組みに、薄いポリシートを菱形に切ってくっつける。
22個までつくって色を塗り、50センチ間隔にタコ糸でつなげ、風の穏やかな日に公園で揚げてみたら、うまいぐあいに空に浮かび上がった。
一つの凧は小さくても連凧だから、それぞれ風を受けて浮揚力は大きくなり、先頭の凧からきれいな曲線を画いて空を舞った。
白髪のサルタさんは、ペットボトルロケットを作って飛ばしたときも、バラサ材の模型飛行機を作ったときも、子どもよりも嬉々としている。
このときも糸を離さない。
ぼくのつくった「いろががるた」の「あ」は、
「遊びの好きなサルタせんせい。」


冬休みに作った連凧は22連で成功したから、次の春休みはあと78連作って、100連にして空に上げようと、サルタさんとぼくは大いに意気込み、計画することになった。
冬休みが終わるとき、22連の凧をサルタさんは家にもって帰った。
春休みまでにいろいろ調整してみたいということだった。


昨日、サルタさんが家にやってきた。
連凧、揚げてみただ。」
なんでも奥さんの実家のある、大きな病院近くで揚げてみた。病院は丘の上にあるのかな。もちろん雪が積もっている。
ちょうどよい風が吹いていて、凧は揚がった。
そうしたら、どこからかカメラをもった人たちが数人やってきて、パチリパチリとシャッターを押しだした。
空は晴れている。雪の常念岳もくっきり西の空にある。
どうやら常念岳をバックに、連凧が揚がっているのを絵になると見たらしい。
「何人か来て、写真を撮ってね。病院の窓から患者さんも見てくれるかもしれんと思っただが、西側に窓が少ししかなくてせ。」
凧を下ろそうと、糸を手繰り寄せていったら、ボール紙の糸巻きは雪の上にあったもんだから、ぬれてぐにゃぐにゃになり、糸はもつれてしまった。
そこでまた凧を揚げて、糸をほぐそうとして、いろいろやっていると、
「病院の患者さんらしき人が何人か、カメラをもって撮りに来ただ。」
それはよかったねえ。凧を揚げているのが老人というのも日本では意外性があるし。
北アルプス連凧と、揚げている老人、
その様子を観ている人がいて、カメラをもってやってくる、おもしろいねえ、
ロマンだよ。


中国武漢の東湖のほとりで見た光景や青島の丘の上の凧揚げが頭に浮かんだ。
50歳から60歳ぐらいの人たちが集まり、鳥の形やら魚の形、いろんな形の自慢の凧をもってきて、揚げていた。
その中に30連ほどの連凧をもってきた老人がいた。
揚がればどんなんかなあ、しばらくそこに立ち止まって、見ていた。
だが連凧は他の人が手伝っても、なかなかうまく揚がらなかった。
凧揚げを通じて、人々は交流し仲良くなっている。
中国の人たちは、年をとっても、凧揚げを楽しむ、それはやはりロマンだった。