8月6日、鐘をつく



   愛の鐘

   平和の鐘



今日は「ヒロシマ原爆の日」。
市役所の職員たちは、原爆投下の時刻、朝8時15分に黙祷を捧げると昨日聞いた。
まだ誰も来ていない児童館、ぼくは一人で黙祷を捧げるつもりで家を出た。
途中、ひらめくものがあった。
児童館の近くの公園に二つの鐘がある。
あの鐘を鳴らして、ぼくは、ぼく一人の祈りをしよう。
誰が鳴らしてもいい鐘、ふだんはあまり見向きもされない鐘、
一つは大阪花博のとき、ネパールに協力したことで感謝の気持ちを込めてネパール政府から贈られた「平和の鐘」、
もう一つは、安曇野を舞台にしたTVドラマ「息子よ」への地元の協力に感謝してTBSから贈られた「愛の鐘」、
それを鳴らしてぼくの祈りをしよう。


8時10分、そこに鐘があることを知ってはいたが、それがどんな物語を持っていたのかを知らず、
鳴らすこともしたことがない、その鐘の前に立った。
隣の市役所では、黙祷を行うために出勤職員が集まっている気配があった。
8時15分、ぼくは、朴の木の下にある「愛の鐘」の釣り紐を引いた。
カーン、鐘の音は、芝生広場に響いた。
鐘の音を聴き、そこにたたずんで手を合わせると、ミレーの晩鐘の絵が頭に浮かんだ。
約10秒おきに鳴らす。
やってみなければ感じることのないものが胸に湧いてくるようだった。
核兵器の廃絶と、亡くなった人たちへの慰霊の祈り、
心がしんと静かになった。
素直に自分の祈りになった。
鐘の音を聞いて、だれかが見ることもなく、やってくるのでもない。
掃除のおばさんが、離れたところを歩いている、ただそれだけ。
耳を澄ますと、他に鐘の音は聞こえない。


昨年の8月6日に、ぼくは児童館の相棒のサルタさんにこんな話をした。
「奈良の村に住んでいたとき、村の寺が8時15分に慰霊鎮魂、平和祈願の鐘をついていました。」
それを聞いたサルタさんは、信州の寺が一斉に鐘をつき、自治体が有線無線の放送で鐘の音を響かせたら、
県民の意識が変わるだろうね。」
それを聞いて、ぼくは一通の手紙を長野の善光寺に送った。
これまでも平和活動をしてきた善光寺が、核兵器廃絶の先導的な役割を担ってほしい、
それを8月6日の鐘に託した内容だった。
返事は来なかった。
今日、長野の寺寺が鐘をついたようすもなかった。
そのとき、どこからも鐘の音は聞こえなかった。
公園のぼくのつく鐘の音だけが、夏空に響いた。


「愛の鐘」を六回ついて、次に「平和の鐘」を六回ついた。