人を救った熊の話 <「北越雪譜」の話 2>




北越雪譜の中に、熊の話があります。
鈴木牧之は、熊のことを「わが国の獣(けもの)の王で、義を知っている動物である。」と書いています。
「義」というのは、「正義」「義務」の「義」です。人として行なうべき道という意味です。
牧之の説では、熊は、木の実につく皮虫などを食べて、熊どうしで殺しあって食べることがない、田畑も荒らさない、まれに荒らすのは食料のなくなったときである、とのことです。
実際には、熊は木の実などの植物も好物だし、魚やミツバチの巣のハチミツなども大好きです。
昨年、日本の各地で、秋に、熊が山を出て、人里にあらわれることが多くありました。
長野県でも、まちの中まで入りこんだ熊が、住宅地の中で麻酔銃(ますいじゅう)でうたれ、眠らされて山にもどされたり、
猟銃(りょうじゅう)でうたれて殺されたりもしました。
すでに冬眠しているはずの12月の初め頃に、熊が人里をうろついているという放送が流れもしました。
あまりにお腹がすいていて、冬を越すだけの脂肪を体の中にたくわえることができないのでしょう。
どうしてこんなにたくさんの熊が、人間のいるところへ出てきたのか、その原因のひとつは、山の木の実が少なくなって食べ物がたりなくなったのだと言われています。
もともと熊は、山の中で平和に暮らす動物なのです。


北越雪譜の話にもどります。
越後の冬の山は深い深い雪におおわれます。熊たちは秋の山の木の実をたくさん食べ、それから穴に入って、雪の下で冬眠します。
その熊をねらって、春の雪がやんだころ、猟師たちは犬を連れて五、六人で山に入り、槍や刀、銃で熊を殺して熊の胆(くまのい)をとりました。
ところで、この本の中に、熊に命を助けられた男の話があります。
熊に助けられて82歳まで長生きした男の、20歳のころの体験です。


二月、深い雪のつもっているときのことでした。
男は、ご飯をたくときに使うたきぎを取りに、そりを引いて山へ入りました。
山を一つ越えて奥に入ったところでタキギをたくさんとり、そりにのせて帰ろうとしたところ、一束のタキギがころがり落ちました。
男はそれを拾いにおりていくと、タキギは氷の割れ目にめりこんでいます。
それを取り上げようとしたとき、前のめりになって谷底まで転落してしまいました。
男はしばらく気を失っていましたが、気がついて、ここにいては雪崩(なだれ)にやられると、そこから脱出しようとしました。
でもあまりに深い雪で前に進めず、おまけに寒さも厳しく、手も足も凍(こご)えてしまいました。
そのとき、もぐりこめそうな岩穴が見えました。入ってみると雪の中よりも暖かそうです。
男は真っ暗な中を手さぐりで奥のほうへ入っていきました。するとだんだん暖かくなってきます。
ふと手にさわったものがありました。ざざらしたそれは、まぎれもない熊の毛です。男の胸はどきどき激しくうちました。
逃げれば、外で凍死する、生きるも死ぬのも神様仏様しだいだと覚悟した男は、
「熊さん、私はタキギを取りに来て、この谷に落ちたものです。帰るにも道がなく、生きるにも食べ物がないです。死ぬほかありませんから、いっそのこと殺してください。でも情けがあるなら命を助けてください。」
と熊に言いました。
すると眠っていた熊は、やおら起き直り、男のしりをおして自分の眠っていたところへ男をすわらせました。
そこは熊の体温で暖かく、こたつにあたっているようでした。
おかげで体も温まり、男は熊にお礼を言って、さらに命を助けてくださいと頼むと、熊は何度も手をあげて、男の口におだやかに手を当てます。
そこで男が手をなめますと、熊の手は甘くて、少し苦い味がしました。なめているうちに、のどはうるおい、心もさわやかになってきました。
それから熊も男も眠ってしまいました。
一夜があけて、朝が来ました。
男が穴を出て、この谷底から抜け出る道を探しましたがどこにも出口がありません。すると後から出てきた熊が滝つぼで水を飲みました。男は驚きました。熊は犬を七匹も寄せたほどの大熊だったのです。
熊はまた穴に入り寝てしまいました。
その日も暮れ、男も穴に入って熊と一緒に寝ました。
翌日も、そのまた翌日も、谷の上からそりを引く人の声も歌も聞えず、谷から出る方法が見つかりません。
とうとう今日は何日なのかも分からないほど日が過ぎたある日、熊がいきなり男の着物のそでを口にくわえて引っぱります。
男は熊の後から付いていくと、熊は雪をかき分けて谷を上がっていくのです。
そしてとうとう人の足跡のあるところまで連れて行ってくれました。
熊は四方を眺めまわすと、どこへともなく走り去っていきました。
こうして助けられた男が我が家に帰ってくると、近所の人が集まって念仏を唱えています。
そこへ髪の毛がぼうぼうに伸び、やせた男が現れたのです。
人々は幽霊ではないかと驚きあわてました。
家族は男が死んでしまったと思って葬式をし、それから49日になったので集まって念仏を唱えていたのです。
わけを聞いた人々は大喜びし、その場はたちまち祝いの宴になりました。