年賀状を書く



今朝起きたら雪だった。
雪は2、3センチほどで、舗装道路は凍結してつるつるだ。
危険だから草の生えている野道を散歩した。
昨日も天候が悪く、寒気がきびしかった。だから外仕事はやめて、終日部屋の中で過した。
一日部屋の中で何かするというのは久しぶりのことだった。
年賀状に写真とあいさつ文を印刷し、手書きで近況を記した。
やっぱり手書き文がないと、心がこもらない。
一人ひとり文章が異なる。
写真は、デジタルカメラで撮った青い空をバックにした霧氷の樹。
パソコンで文面を編集する方法は去年息子に電話で聞いて、方法をそのとおりにして出来た。
今年また同じ方法でやろうとしたら、すっかり忘れていて、パソコンをいろいろ操作してみたがうまくいかない。
又も電話を東京までかけて訊いた。
こういう機器の操作方法はあまりに複雑で多岐にわたり、記憶することは老年の自分の頭では不可能だ。
聞いた後から忘れていく。
「そこをクリックして、次に‥‥。」
これはもう理解とはかけ離れている。
残る記憶と残らない記憶とがある。
若い頃の古い記憶は残っている。新しい記憶は定着しにくい。
新しい記憶でも残るのと残らないのとでは傾向があるようだ。
頭の中でイメージして描いたものは残りやすい。


頭の中でイメージする。
工房を造る過程はイメージの作業の連続だった。
あそこをこうして、そうするとこうなる、外観はこう、いや、これではうまくいかない、ここをこうするとどうだ、
と場面を画いていく。
このイメージ作業は夜寝ていても頭の中でやっているらしく、突如目が覚めて夢うつつの状態でイメージしていたことを考えることもあった。


雪ちゃんから電子メールのクリスマスカードが中国・四川省から届いた。
幼い息子さんのかわいい写真も一緒だった。
クリスマスカードも、年賀状も、
幸せを祈る心の便り。
エスキリストも、お釈迦様も、人々の苦しみを救い、幸せになることを念願して、世界宗教になっていった。
世界に影響を与えた思想家の思想もまた、幸せになることを願った。
それなのに、世界中で紛争が絶えない。
人間のなかから生まれてくる不幸。


雪の野道をランと歩いていたら、南の方角から教会の鐘のような音が聞こえてきた。
午前7時、聞いたことのない鐘の音。カラーン、コローン、カラーン、コローン、
どこかに教会があるのか、それとも無線放送での鐘の音が流れたのか。