雪の日


 ここ数日の積雪は50センチ近くある。雪かきが一仕事だ。我が家の横の通りは、舗装された道路で隣町からの抜け道になっていて、通勤時間になると通り抜けていく車がやってくる。南岸性低気圧がやってくるという天気予報があった日の夕方から雪が降り始め、夜中はしんしんと音もなく外灯の明かりを消しそうなほど降りが激しかった。朝、灰白色の中を除雪車が動いていた。その日の積雪は30センチほどだったが、除雪された道路はなんとか車は通れた。だが道路の両側に寄せられた雪が道路幅を狭め、対向車が来ると避けるのが難しい。
 その舗装道路から未舗装のわき道が我が家の北側を西に上がっており、我が家からいちばん奥の4軒目の家から上は広大な雪原だ。この四軒の前の未舗装の道は軽い傾斜がある。ぼくが雪かきに出ると、奥の家の息子さんも雪かきをしていた。なかなか屈強な感じの男性で、見た感じ30代だな。一昨年引っ越ししてきたそのお家のご両親とは親しくなっていたが、息子さんとは初対面だ。息子さんは雪かき器で雪をすくい、すごい勢いで田んぼの中へ押し入れながらこちらに近づいてきた。
「いやあ、どうもどうも。大変な雪ですねえ。この道、少し坂になっているでしょう。ここが凍結すると、スリップするんですよ。以前、2回もクロネコのトラックが立ち往生しましてねえ、運転手と一緒に除雪して、車輪の下に板をかまして動かしましたよ。」
「はあ、そうですか。うちはクロネコさんによく来てもらいますから。」
「ほれ、ここ、下が氷になっているでしょう。ほれ、つるつるですよ。ひっくり返らんようにしなけりゃ。四輪駆動なら上れますが、いったん止まると二輪駆動ではむずかしいですよ。」
 ぼくは大型スコップを持ってきて、堅雪を割っていった。息子さんはそれを雪かきそりに乗せて運んでくれる。息子さんは、我が家の横の道の雪をかいて、さらに道路分岐点の雪も取り除いてくれた。
「助かりましたよ。私、去年ひざを傷めましてねえ。軟骨がすりへってしまったんですよ。それで、歩くのが痛くてね。それまでは健脚だったんですよ。一昨年は蝶ガ岳、その前は常念岳に登ったんですがねえ」
「へえー、そうですかあ」
 雪のおかげで、初めて息子さんと共同作業ができ、話ができた。人と親しくなっていくのは喜びである。
 翌日は吹雪だった。横なぐりの雪は木々の枝に樹氷を付けた。冬の北アルプスの猛吹雪を思い出す。
 水曜日は学校だったから松本まで出かけた。夕方帰宅する道は、ひやひやだった。5時を過ぎると暗くなる。道路に雪が張り付いてわだちのくぼみが凍っているところは、車がスリップして左右に動く。雪が融けているところも、ヘッドライトの明かりでは、凍っているのか、濡れているだけなのか、よく分からない。融けて凍っていたらやばい。高山の岩場で、岩の上に薄い氷が張り付いていることがある。堅雪や氷ならアイゼンを使うが、岩場の薄氷はアイゼンを使いにくく、スリップの危険にさらされる。それを思い出しながら、速度を落として帰ってきた。1時間の神経を使う運転だった。
 ランちゃんとの散歩は、いつもの道路はやめて、雪の田んぼに変更した。リードをはずして、自由に雪に遊ばせる。昼は居間でランはぬくぬく過ごしている。けれど大好きな散歩だ。雪の中に入ると、雪田を跳ね回り大はしゃぎだ。頭を雪の中にごそっと突っ込んで、雪の下の何かを鼻で嗅いだり、口にくわえようとしたり、たちまち野性がよみがえる。ぼくは雪の中に立って、足元からしみてくる冷えを感じながら、野性ランをおもしろく眺めている。
 ところが雪の中の遊びも四日目、ランに変化が起きた。野道の深雪のところに来たら、ランは進むのをやめて、立ち止まった。それまでは深雪でも好奇心旺盛で、脚を雪に沈ませて遊びまわったのに、ぼくの顔を見ながら後じさりする。
「もう深いところは疲れるから行かないよー」
そんな意思表示だ。ぼくはずんずん前進して後ろを振り返り、
「おいでー、ラン、おいでー」
と大声で呼ぶ。何回かそれを繰り返すと、逡巡していたランは、ぱっと切り替えて、雪の上を跳ねるように走ってきた。
「おりこう、おりこう」
 ぼくはランの頭を皮手袋で思い切りごしごしなでてやった。この意思の変化がたまらなくおもしろい。ときどきこういうはっきりした意思表示をする。自分はこうしたいのだという意思をもち、それを表明するのはかなりの知能だと思う。それがかわいい。