冬の夜、慶太君歓迎食事会


12月10日のこと。
夕方から雪が降り出し、安曇野に移住してきた慶太君の歓迎食事会があるというのに、次第に降雪は激しくなった。
この頃は暮れるのがめっぽう早い。雪の日となると五時前からどっぷり暗い。
我が家を出て山麓の道路を進んで行くと、闇の中に車のライトが光の帯をつくり、その奥のほうから雪の粒が次から次へと湧きだしてフロントガラスめがけて飛んでくる。
車は無限の降雪の中へ沈んでいくような錯覚が起きる。
標高が高くなった地点では道路際はたちまち白く積もり、路面はシャーベット状になった。
前日、スノータイヤに履き替えていてよかった。
会場は慶太君の家、聞くところによるとその家は借家だが、安曇野の伝統家屋で、屋根に船形を載せた大きな造りである由。
おぐら山農場に着いてから、参加者数台の車が一緒になって迷わないように、初めての道を進んでいった。
都会なら街は明るいが、農道は真っ暗だ。
初めての夜道は位置を確認するのが難しい。
ライトだけでは視野狭窄、神経を使って無事目的地に着いた。
旧村の集落のなかに彼の家はあった。


なるほど大きな屋敷だ。
空き家になっていたのを借りて、この秋彼ら夫婦は移住してきて住み始めた。
大きいだけに、冬は寒い。寒い、寒いと慶太君。
昔の伝統家屋は夏向きで、冬向きではない。
大きな座敷が食事会の会場だった。
参加者はそれぞれ家族ごとに、鍋、コンロ、食材を持ち寄り、鍋料理をつくる。
いろんな鍋料理がぐつぐつ煮えてきたら、自由にどの鍋からでも食べてよい。
いわゆる持ち寄り。
我が家は洋子が準備したキムチ鍋の献立だった。
コンロは携帯用のガスボンベのコンロで、これは便利だ。
慶太君の友人たち、慶太君の近所の人たち、その家族。
子どもの数だけでも十人以上はいる。
集まった人たちは38人。
テーブルにずらり並んだコンロは、十台はある。
寒い部屋もたちまち室温が上り、温かくなってきた。
若い孝夫君はTシャツ一枚、農業にいそしみ、冬場の今は酒蔵の杜氏をしている。
老年のこちらはキルティングを着て、この差はすごいもんだ。
望三郎君一家の鍋は、トマトソースをベースにした鍋。
おぐら山農場に来ているウーファーさんを含めた暁生君一家の鍋。
大工の大ちゃん夫婦、教師の圭君一家、若い農業者たち、慶太君の近隣に住む人たち、フランス人にブラジル人、オーストラリア人。
慶太君の奥さんはアメリカ人。
国際色豊かだった。


鍋をつつきながら、わいわいにぎやかに、慶太君夫婦はみんなの接待に余念がない。
雪の日は暖かい宴となった。
慶太君はこれからこの地で、大工の仕事と農業を始める。
開放的で磊落な彼の性格、人の輪が出来ていくだろう。
すでにそれがこうして38人のパーティとなった。
持ち寄り食事会、会費は無し、
一品持ち寄りで、多彩なメニューになる。
もうすぐ我ら熟年組みの「かくらんの会」も一品持ち寄りの食事会をしよう。
やはり鍋だね。
帰り道は山麓の雪道は避けて、下の大型農道に出て帰った。