依存しすぎ



依存症では、ニコチン依存症、摂食障害、薬物依存症、アルコール依存症
ギャンブル依存症、インターネット依存症、ケイタイ依存症、
借金依存症、人間関係依存症などいろいろあるけれども、
依存症に陥っていることを、自分では気づかずにいることが案外多いのかもしれない。
「症」とまでは言えない「依存しずぎ」ならいくらでもある。
便利で、簡単に、楽に使えるものに依存する。
車依存は、歩いても知れているのに車を使う。
手間ひまかけて食材を作ったり料理したりするよりも、出来合いの惣菜を買ってくる。


アメリカのように銃規制が日本でもなくなり、多くの人がピストルを持てばどうなるだろう。
あれば使いたくなる、使おうとする。
それに依存するようなことが起きないか。
アメリカで日本人留学生が、ハロウィンで撃ち殺されるという事件がかつて起こった。
強力な軍事力を持つと、国家や軍部はそれを行使しようとする誘惑におそわれる。
外交も武力に依存する。
情報に依存して武力行使というのもある。


人間は完全に単独で生きるということは出来ない。
必ず何かに頼って生きているから、依存を100パーセント断ち切ることなんて出来ない。
しかし依存しすぎて、それがなくなれば生きていられないということになると、考え方の自由度も行動の自由度も失ってしまう。
依存しすぎると、自分が見えなくなり、相手が見えなくなり、世界が見えなくなる。


農業では、農薬依存、除草剤依存、化学肥料依存がある。
虫や病気対策に、安易に農薬を散布する。
草が生えるとすぐに除草剤に頼る。
自然を観察する能力は科学者も及ばないと言われる青森のリンゴ農家、木村秋則さんが口をすっぱくして言うことは、
安易に使える効果的な手段を持つとそれに依存し、結局対象をよくよく観察することがなくなるということ。
自然の摂理が見えなくなる。
野菜と対話する、果物、稲に聴くということをしなくなる。
木村さんの観察が、学者も及ばないほどだと言われる、その違いは、命を育てる日々の生活の質から来る。
木村さんは、野菜と対話する、果樹と対話する。


観察というのは、一時的なものではない。
継続して行なわれる。
木村さんの観察は作物や虫と時間をかけて継続して行なわれている。
大根が時計回りに回転しながら土のなかに伸びていく話、木村さんは実験方法を教えているから、一度実験をしてみたい。
話半分に聞いてしまうが、自分で確かめなさいと木村さんは言う。
キュウリの巻きひげが、朝、指を出していると巻きついてくる。そして巻きつく人と巻きつかない人がいる。
朝早く畑に行ってやってみなさいと言う。
アブラムシを根こそぎ食べる名無し虫がいた、それは学者に聞いても知らなかった。
アブラムシをよく観察してごらんよ、と言う。
水田の除草、初期段階で車のチェーンを引き回しなさいと言う。
鴨が脚で水田の土の表面をかき回すようにすること、
それを3回ほど行なったら、草は生えなかったと。


子育て、教育、そこにも依存がありますねえ。
教師は何に依存しているか。
親は何に依存しているか。
子どもは何に依存しているか。
依存しているなあ。
依存して、見えなくなり、考えなくなり‥‥。