臼井吉見が小学生だったとき、
朝の全校朝礼で、
校長先生は朝礼台に上って子どもたちに言った。
「常念を見よ。」
朝礼の度に、
「常念を見よ。」
それしか言わない。
いつも同じだった。
「常念岳を見よ。」
「常念のように。」
小説『安曇野』を書いた臼井吉見は安曇野の堀金出身、
校長先生は同じ言葉しか言わなかったという小学生時代の思い出を語っている。
校長先生は、ほんとうにそれしか言わなかったのか。
他にもしゃべっていたけれども記憶に残らなかったのではないか。
そうであれば「常念を見よ。」は、臼井の記憶に残る言葉だったということになる。
ほんとうにそれしか言わなかったとすれば、
どうしてそれしか言わなかったのだろうか、と考える。
能力的にそれしか言えない人だったのか、
目的、意図があって、それしか言わなかったのか。
ぼくは常念岳を見ながら考えた。
すると感じるものがある。
それしか言わなかったとしたら、
要するに、ようくようく観よということではないか。
対象をとことん観察せよ、ということではないか。
ようくようく観れば、同じ常念岳というものはない。
毎日毎時、異なる常念岳だ。
一瞬一瞬変化する。
山の色、かかる雲、朝の山、夕べの山、
空の色、夏の山、冬の山、
同じ常念はない。
それをとらえる自分の感性。
それしか言わなかったとしたら、
何かを感じるまで観よ、ということではないか。
常念岳を観ていると、心に何か生まれてくる。
思索が生じる。
常念岳を見る、ということは、ただ漫然と見るのではない。
そういうことだったのだろうか。
言葉の中身は、聞く人の理解の範囲に限定される。
ただただ見ているだけでは、
山がある、雪が積もっている、
いつもの山だ、
何の変哲もない、いつも見慣れたふだんの山だ、
たかだか標高2850メートルの、安曇野からいちばんよく見える山だ、
珍しくもなんともない。
それで終わってしまう。
同じときに、臼井吉見と一緒に校長先生の話を聞いていた子どもは、たくさんいた。
その子らは、その後大人になってもそれを覚えているだろうか。
覚えている人はたぶんあまりいないのではないだろうか。
全く別の言葉を覚えている人もいるだろう。
臼井の記憶には残らなかったが、
別のその人には残った言葉があるだろう。
記憶は、受け取る人の何かが作用する。
ぼくが小学4年生のとき、
師範学校出の松村先生が赴任してきてぼくのクラスの担任になった。
級友だった森君は今も、
朝礼台上に立った松村先生の最初のあいさつが、
「オレを兄貴と思え。」
だった、というのだが、ぼくの記憶にそれが残っていない。
残っているのは、語りの名人のような先生の「お話」の切り出し。
「あるところに‥‥」
の「ある」が、「あ」の音程が高く、「る」がぐっと下がる、独特のイントネーションでゆっくりと歌うように言う。
それが腕白どもの心をとらえた。
先生の怪談は、みんなふるえた。
実際松村先生は、兄貴のような存在だった。
中学1年生のとき、真野という年配の先生と新任の女の先生が二人担任になった。
二学期だったか、年度途中で突然真野先生が退職することになった。
理由が分からない。
真野先生は、生徒とじかに接することはなく、授業に来て何か話すだけで終わりという、親しみのない先生だった。
真野先生は、朝礼台に立ち、整列した生徒たちに、
「わたしは、いやけがさしたんだ。この学校にいやけがさしたんだ。」
と大声で言った。
異様な感じがした。
それが別れの言葉だった。
生徒に言うことではないじゃないか、教師のなかのことではないか、
子どもなりにも、何かがあったんだと思った。
その言葉は、生徒に向って言いながらも、校長か同僚か、朝礼台の後ろに立っている教師たちに向けられていると感じていた。
この記憶、
ほかの生徒たちの頭に残っているかどうかは分からない。
もう一つ、真野先生が生徒に話した言葉で記憶に残っているのがある。
「わたしは、森本君はえらいと思うんだ。」
森本は、父母がおらず祖父母に育てられていた。
家が農家だったから家の手伝いをしていたが、勉強はよくできた。
だから真野先生はそう言ったのだとぼくは思った。
森本は定時制高校に行った。
そして3年後、農薬を飲んで死んだ。
高校生の時の担任、野村先生の言葉で記憶に残っているのは、
「糞土のしょうは ぬるべからず」だ。
ときどき数学の授業中に先生の口から出た。
くさった土の塀はこてで塗ることができない、ということから、
怠け者には教える甲斐がない、という意味で使われる論語の中の言葉。
野村先生は、くさった壁土は、もういちど壁に塗ることはできない、と説明した。
後に、古壁の壁土をもう一度使うことができるということをぼくは知って、じゃどういうことだろうと思ったが、
くさったボロボロの土は、「こて」で塗ることはできない、すなわち役に立たない、だった。