小学生のつくる替え歌



以前、このことについて書いた記憶があるんだけれど、
小学生のつくった歌。
池澤夏樹の「風がページを‥‥」(文芸春秋)のなかに出てきた子どもの替え歌を読んで、
またそのことに触れてみようと思う。


子どもたちが、池澤の仕事場の近くで歌を歌っていた。
メロディは「きらきら星」、こんな歌詞だっだ。


  ABCの 海岸で
  カニにチンポコ はさまれた
  いたいよ はなせ
  はなすもんか ソーセージ
  赤チンぬっても なおらない
  黒チンぬったら 毛がはえた 


これを「きらきら星」のメロディで歌ってみると、なるほど歌える。
この歌は、沖縄まで伝わっているという。


ぼくが子どもの頃、「みっちゃん」と呼ばれていた。
「みち」が名前についていると、歌われる。


  「みっちゃん みちみち、ばばこいて
   紙がないので 手でふいて
   帰って おかちゃんに しかられた」


「ばば」は大阪の方言で、「ウンチ」のこと。
友だちに北村君がいた。


  「きったん 馬力の ちんどんやー」


こう歌いながら、からかう。しかし、からかいに親しみの情がこもっていた。
タケちゃんには、


  「タケちゃん たんこぶ 12こぶ
  12時なったら こぶだらけ」


野上君という級友がいた。家は炭の商いをしていた。
彼は、相当なワンパクものだった。
野上君をひやかす歌。対句になっている。


   「金剛山の 雪つもり
   野上にチンポ あかつもり」


小学生のワンパク時代は、こういう性的なからかいを好むところがある。
学校の先生を数え唄におりこんだものがあった。


  1年 いんちゃい 清水せん
  2年 にんとく ○○せん
  3年 さむらい △△せん
  4年 しりふり 森せんせい
  5年 ごんぼの ▽▽せん
  6年 ろっぱの □□せん


「いんちゃい」は「小さい」。
「せん」というのは「先生」。
河内の子どもたちは「先生」を省略してそう呼んでいた。
○○などのところに、先生の名前が入っていた。
今、その名前が出てこない。
「ろっぱ」は、眼鏡をかけた芸能人「古川ロッパ」。ロッパによく似た先生がいた。


「おててつないで」は、替え歌になっていた。


「おてテンプラ つないデコちゃん
 のみちを ゆけバりカン‥」


仲間が集まり、外に出て遊び呆け、わんぱくし放題の小学生のエネルギーはすさまじかった。
それが子ども時代だ。
鳥越信が、「子どもの替え歌傑作集」(平凡社)を出しているそうだが、
替え歌がぼんぼんつくられるということは、子どもの世界がそれだけ独立性を持ってエネルギッシュに存在していたということであろう。
電子ゲームとかそんなものの存在していなかった時代、
はだかとはだかでぶつかる子どもの群れがあった。
貧しくても、子どもはたくましく育っていった。
友だちに刺激されて。