「集団づくり」は学校現場でどのように実践されているのだろう


     眠るアマガエル
     緑のカーテンに稔るゴーヤ



電車の一輌に何十人かの人が乗っている。
それぞれ自分の目的地までの乗車、
ある人は居眠り、ある人は本を読み、ある人は車窓を眺めながら釣革を持っている。
連れのいる人はおしゃべりしている。
何時何分発の、どこそこ行きの電車に乗った乗客たち。
同じ電車に乗っているという点での共通点はあるものの、
この人たちは集団ではない。
バラバラの個が、たまたま同じ車両に乗り合わせたにすぎず、人と人との間につながるものはない。
一つの学校のテニス部らしい一群の中学生が乗ってきた。
彼らはにぎやかにしゃべりながら、ドア近くに固まっていた。
同じ学校の同じ部活メンバーとしての意識をもっている一群は、そこだけの小集団になっている。
が、同じ車両に乗っている人たちとはつながりがなく、
何十人か何百人か、同じ車両の乗客には集団としての社会意識は希薄だ。
高齢者や障害者、妊婦などが使えるように指定されている優先座席に、女子高校生二人がかばんをドカンと置き、四人は掛けられるところを独占しておしゃべりしているが、誰も注意するものがない。
下校時の高校生乗客のマナーが悪いと、市民から高校に苦情が来ることもある。


ぼくが大学山岳部のメンバーであった昔のことである。
夏山合宿に出かけるために仲間と夜行列車に乗った。
列車は超満員だった。
何時間も前から列車の座席を確保するために大阪駅のコンコースに早くから並んで待った人たちは、午後十時半の発時間が近づくと駅員に先導されてプラットホームに並び、
ホームに入ってきた大阪仕立ての「ちくま号」にまっ先に乗り込んで座席に座っていた。
後から来た人たちは立ち組、座席組より圧倒的に多かった。
通路とデッキにぎっしりと立った乗客は、身動きもできない状態で信州まで一夜を過さねばならない。
お盆で帰省する女工らしき若い人たちも、登山客も、みんなそれぞれ荷物が大きい。それも混雑をひどくした。
ぼくたちは駅に来るのが遅かったために、デッキから中に入ることもできない。デッキにも若い女の子たち数人がいた。集団就職で大阪に来て、お盆になって父母の元に帰る人たちだった。
恐らく夕方まで仕事をして、夜行列車に間に合うように駆けつけたのだろう。
ぼくら山組みは一睡もしないまま一晩を過し、明朝目的地に着けば、重いザックを背負って一日登ることになる。
若い女工たちの額に汗が噴き出ていた。
それを拭う顔を見ているうちに一つのアイデアが浮かんだ。
二人がけの座席に三人座れないか、そうすればかなり助かる人が出てくるぞ、座っている人たちに話してみよう。
山岳部の仲間にそれを伝えると、やってみようということになった。
まずぼくがトップバッターだ。
ぼくは人を掻き分けてデッキから車内に入り、いちばん手前の座席のひじ掛けの上に足をのせて立ち上がり、
網棚を片手でつかんでバランスを保つと車内を見回し、
「みなさん! 二人のところにもう一人座れるように席を詰めてくださ―い。」
車内に響き渡る大声でどなった。
だが、反応は全くない。
座っている人たちは耳に入らないかのように余裕の表情でくつろいでいる。
仲間たちは交代してひじ掛けに立ち上がって訴えた。それでも訴えは無視された。
たまりかねたぼくは、ひじ掛けの上をまたぎながら車両の真ん中まで行き、通路の人たちにも声をかけて、
「三人掛けしてくださ―い。そこの人、座りましょう。」
と通路に立っている人に促すと、数人が座席に入り込むことができた。
だが、三人掛けをした人たちはとても窮屈そうだった。
そのとき、座っている一人の若者が、
「ぼくたちは長時間並んで待ったんですよ。早くから待って座る権利を得たんです。」
だからこの席は自分たちのものだという主張を述べた。
座っている人たちの権利優先という反撃に、ぼくの声はむなしくなった。
それ以上の強引な説得は無理だと思ったぼくはまたデッキに戻った。
一人でも多く座れるようにするにはどうしたらいいか、
苦しい一夜の乗車を、少しでも楽にすることはできないか、
そのテーマをみんなが考え行動する集団に変えることは、短時間の一方通行の論議では無理だった。
車内の乗客は集団にはならず、目的地まで運ばれていく個の群れのままだった。


このバラバラな個の群れが、2年前だったか、大阪と富山を結ぶ特急「雷鳥号」の事件となった。
若い女性の横に座った男が、女性を脅してトイレに連れ込み、暴行した。
車内には160人ほどが乗っていたが、自分の身にとばっちりが降りかかることを恐れてか、みんな見て見ぬ振りをした。
車掌に通報することも、数人が組んで男を取り押さえることもしなかった。
その後、男は逮捕され今服役しているものの、女性の心の傷はいえることはない。


氷山に衝突して沈没したタイタニックの場合は、全員が生きるか死ぬかの瀬戸際に立つことで、乗船者たちが大きな集団意識、すなわち「いかにしてこの危機を乗り越えるか」という意識でつながっていったことが、さまざまな行為となって現れた。
ハイジャックされた航空機のなかでも、乗客がバラバラな個から集団に変わることで、危機を乗り越えた事例もある。
しかし、こういう非常時でなく平常時であれば、乗客は単なる個である。


学校という場、学級という場、これはどうか。
小学校から中学、高校まで、学級崩壊といえるような現象が起こるようになって久しい。
なぜそういうことになってきたのか。
学校教育の実践テーマでは、授業とならんで最も重要なのが、「集団づくり」というテーマだった。
クラスという場を「みんながともに学び育っていく場」に高めていく。クラスがバラバラな烏合の衆ではなく、一人ひとりが自主性をもち、よりよい集団にしていく行動のできる人になる。それが学級担任の大きな仕事だった。
志を持つ教師たちは、長い年月をかけて実に気の遠くなるような実践研究を積み重ね、交流してきた。
クラスの中にどうすればクラスを高めようとする核が育つか、どうすればみんなが話し合い相談する集団に変えていけるか、どうすれば生徒たちが助け合い・協力する自治を生み出せるか、そして一人ひとりの持つ無限の可能性をどれだけ引き出しうるか、
持ち寄った実践から、多くの方法、技術、理論が編み出され、実践する心が培われた。
だが現代、実践の遺産を知らず、継承できず、新たな実践を生み出すことができず、疲弊し、苦悩し、意欲を喪失していく教師たちが多い。
いまだにクラスが「集団づくり」と言えるような指導を入れられず、成り行きに任されて、生徒が烏合の衆のままでいるクラスや学校のいかに多いことか。
生活指導とは、子どもたちがよりよい集団を作り、よりよい社会を作っていくために、学校という舞台で練習をつみ実力をつけていくための指導なのだが、
多くの学校では、規則を守らせ秩序を維持することだけが生活指導であるという生徒受身の段階を突破できないでいるのではないか。