児童館活動と学校教育


地元児童館の準備会があった日の夕方、
「この記事読んだ?」
と家内が言ってくれたのは児童館の役割について書いている実践者の新聞記事だった。
「いや読んでない。」
その朝、新聞をざあっと目を通したつもりが、そこは素通りしていた。
家内が知らせてくれなかったら、この小さな偶然を見過ごすところだった。
記事は、NPO法人「岩手子ども環境研究所」理事長の吉成信夫氏が書いている。
吉成氏は、岩手県葛巻町内の廃校舎を利用して、
子どもたちの遊びと学びの場「森と風のがっこう」を2001年につくっている。
さらに岩手県立児童館「いわて子どもの森」館長として、子育て施設の指導者ネットワークづくりに取り組んできた。
その実践の中で、痛感することが多々あり、こんなことを書いている。
要約すると、


生活の中で子どもが生きようとする意欲をかきたてるのが、子どもにとっての遊びである。
子どもの成長には、心と身体を解き放ち、ゆっくりくつろぐ空間と時間が必要である。
児童館には、ゼロ歳から18歳までの子が、いつでも誰でも自由に来館できる。
「いわて子どもの森」では、広大な自然の中に「秘密基地」をつくり、昔の遊びや窯でのピザ焼き、
子どもたちによるラジオ番組づくりなどをしている。
遊びの中で、子どもたちはけんかをしたり、本音をぶつけ合ったりして、人と自然のつながりを理解している。
しかし今、児童館はさらに役割を強化する必要に迫られている。
児童館は、遊びの提供だけでなく、
総合的福祉施設としての機能を持つ施設にしなければならない。
子どもたちは、遊びの中で本音をもらす。
だから、子どもの悩みや相談にかかわることが出来るようにすることである。
そしてまた、保育園、幼稚園、学校、学童クラブ、児童相談所、子育てサークルなどを横断的につなぐ取り組みを進めることである。
岩手県では、子育て施設の職員や指導員のネットワークづくりを、情報交換会や児童館を核にした交流合宿などで進めている。子どもたちの遊びと学びと相談を、横断的につなげた子育て社会を築いていくべきだと考える。


記事を読んで、その実践の一端を知ったが、
限られた字数の中に収めることの出来なかった豊かな内容があるであろうことが推察できる。
「『いわて子どもの森』では、広大な自然の中に『秘密基地』をつくり、昔の遊びや窯でのピザ焼き」、
この短い文からも、子どもの森で遊ぶ子どもたちの様子が想像できる。
秘密基地づくりは、子どもの最も熱中する遊びだ。
木の上につくったり、藪の中につくったり、ほら穴につくったり、
大人たちの目に見えないところに、自分たちの隠れ家をつくる。
冒険と秘密にわくわくする。
ぼくの子ども時代は、大きな池のほとりにススキの大群落があり、その中に分け入って一坪ほどススキを倒し、それを地面に敷いた。
周囲をススキが取り囲んでいる。
近所の遊び仲間と一緒にそこに入って遊んだ子どもの世界。



学校の建物も福祉施設も、公民館も、昔に比べたらりっぱになった。
にもかかわらず、子どもの世界は貧弱になった。
「子どもは風の子」というのは、「大人は火の子」の対句だったが、
それは、子どもは大自然の中で過しながら成長するものだという教えだった。
今は建物の中で、安全に管理され、ゲーム機に熱中している。
子どもの友、自然は遠くなった。


吉成氏は縦割り行政の弊害についても述べている。
ぼくの実感するところでも、児童館活動と学校教育とは断絶している。
教師は、児童館で子どもがどんな生活をしているか知らない。
夏休みのほとんど毎日を過す子どもの児童館生活を知らないでいる。
福祉の担当者も、子どもの学校生活を知らず、互いに「知る必要がない」として連携の模索もない。
子どもたちが、児童館でどのように生活しているか、
小学校ではどのように学び遊び、みんなと生活しているか、
互いに知った上で、何が欠落しているか考え、
子どもの生活時間と生活空間を満たしていく「生きて育つ」をトータルに見ていく。
人間の生育にとって欠かせない自然から、現代の子どもはどんどん遊離し、地域子ども集団が消失してきているからこそ、
子どもの生活を全体観にたってとらえねばならない。
学校ではどんな生活をしているか、児童館ではどうか、福祉行政と教育行政が連携していく、
これは今後欠かせないことであると思う。
学校、福祉、家庭、地域、それらが連携していけば、子どもの育つ社会づくりが見えてくると思う。