苦難に対処する思考

          <道は一つではない>

 桑の実


就寝した後、いつもはすぐにぐっすり寝込んでしまうのだが、その夜は頭が冴えていた。
今の仕事の難局が頭に浮かぶ。
試行錯誤しながらやってきた困難な場面が頭につぎつぎ展開する。
問題点が浮上してくる。
この困難な状況は仕事への自分の厳しさが不足していたためではないか、
要するに自分の指導性の問題ではないか、
もっと厳しく対処すべきではなかったか、
ぐるぐる思考が回る。
頭は作戦脳になってきた。
そうなると脳への負荷がますます重くのしかかり、したがって睡魔は遠のく。
このストレス、まずいなと思う。
消し去らねば身体に影響するよ、まずいよ、
ストレスの負荷を少なくして寝なければ、と思う。
そこで思考をストップしてクリーニングするリラックスを行なうことにした。
うつ伏せ寝スタイルになる。
一から順番に数字を唱えていってもいいのだけれど、ぼくはネイティブハワイアンの伝統療法の語句を頭の中で繰り返す。
そうすると緊張した頭に白いベールがかかり、柔らかくなった。
負荷が消えて、思考が楽になってきた。
仏教の経文もそういう効果があるんだろうな、
キリスト教の聖書の言葉も、イスラムコーランもそうなんだろうな、
そんなことをぼんやり考えているうちに、いつのまにか眠りに入っていた。


困難な状況に直面している。
解決は困難なように思える。
その状態を一人で抱えていると、重荷がずしりと心にかかる。
三十代から四十代のぼくは、そのるつぼに立っていた。
しかし仲間がいた、希望はあった。


年を経て今またその困難に向かい合っている。
今の現象は、完全に否定的か。
ストレスを自己の重荷にしてしまうほどのことなのか。
自問する。


朝のウォーキング。
昨夜の考え方とは異なる思いが湧いてきた。
否定的にとらえていることは、実は肯定的な現象ではないか。
否定的な心象から発する思考は、ますます自分を苦しめるだけだ。
見方を変えてみろ。
むしろ新たな展開、新たな希望への芽生えではないか。
何をやるべきか、
その対応策は、根本的な間違いを生むことになる。


この揺れ幅、
このゆらぎ、
昨夜と今朝の思考の違い、
逆転する結論。


困難な状況に遭遇したとき、
状況を判断する。
状況を判断して、行動を考える。
だが、判断には揺れがつきまとう。
あいまいさがつきまとう。
100パーセント正しい判断というものは存在するか。


選択肢はいくつもある。
どの選択肢を選んで、どの道を進むか。
そのとき、判断力が必要になる。


サッカーの岡田監督もゆらぎながら決定しているのだろう。
迷いが全くない指導者なんていない。
鳩山前首相は、ゆらぎのなかで失墜した。
1969年、沖縄返還をめぐりアメリカとの交渉を担った若泉敬
それは密約を含んだものだった。
それしかなかったとその時は判断して進めた。
後に彼はアメリカの秘められた策を知る。
米軍沖縄基地は拡大固定化された。
若泉は、沖縄の人々への謝罪の気持ちを深め、
自責の念に苦しみ、
自殺する。
『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』
他に方法がなかったと信じたい。
それは他に方法があったのではなかったかという若泉の心のゆらぎでもある。