弱音を吐いてよい

 最近、自分のやってきた活動の困難に関して、一人の男にちょっと弱気を吐いた。同士がなかなか出てこない、運動が広がらない。そう思う複雑な心境については言葉足らずであった。聞いていた男の感情は冷たかった。態度はともに考えることを否定していた。この男に言うべきではなかった、という思いが湧いた。

 「この戦争、負けるんじゃないか」と、戦時中、生徒が学校で言ったらどうなっただろう。たぶんどえらく叱られただろう。この戦争は正しい、この戦争は勝つと信じこまされているなかで、疑問を出すことは危険なことだった。
明らかに戦況は負け戦だった。しかし弱音を吐くことはできなかった。最もよく「敵」を知り戦況を知っていたのは、軍関係者であり、政治家だった。だが、彼らは欺瞞を押し通した。東条英機は、「この戦争、やばいんじゃないか」とは口が裂けても言えなかった。
 政治のトップ、会社のトップなど、ことを進めてきた当事者は、ことが失敗におちいりつつあるなかでは弱音を吐きたくもなるはずである。しかし、それは自分の責任を認めることにもなるから、「押せ押せ」を頑固に貫く。退路を探して収束に向かえば被害は少なくすることができるのに、退路の模索に思考が向かわない。
 弱音を吐くことは、一般的に「意気地がない、努力が足りない」となりがちだ。「そんなことで弱音を吐くな」と叱られる。弱音は、あまり肯定されない。
 難局にあるとき、どんな人も、程度の差はあれ弱気になることはある。弱気になることは100パーセントないという人は100パーセントいない。困難な情況で弱気が生じるのは、困難というものに圧倒的な圧力があるからだ。どんな豪胆不敵な人も、どんな強靭な精神の持ち主も、行き悩む情況に置かれると、精神的葛藤におちいる。弱音は葛藤による現象であり、正面に立ちふさがる困難を見つめているから出てくる。そのなかで、精神的ストレスが高まり、煩悶が起こる。そしてつぶやく。どうすればいいのか、どうしようもない、と。
 1962年のキューバ危機のとき、ケネディと対するフルシチョフの胸中はどうだったろう。核戦争の恐怖が二人の指導者に重くのしかかって、脳を圧迫していたであろう。戦争寸前、水面下の交渉が成立し、ソ連はミサイルを撤去して、戦争は回避された。

 弱音も、マイナス思考も、煩悶も苦悩も、それを話せる人がいるということは必要なことだ。部下、側近、友人などに、自らの弱点、あやまちをさらけ出して相談できる人がいるということ、耳に痛いけれど先見性を持った意見を言ってくれる人がいるということ、権威や上下の関係や、利害にとらわれないで本音で異論を言ってくれる人がいるということ、甘い蜜に集まってくる「おべんちゃら連中」ではない賢い人材をもっているということ、そういう指導者であること。指導者でなくても、庶民として、弱気を吐き出すことのできる仲間がいて、新たな力と道を見据えることができる。弱気を吐き出せて、勇気がわいてくる。
 弱音も吐いてよい。弱音を吐いて、ゼロから考える。