「おつかれさまです」
日中技能者交流センター研修所のリエさんは、仕事の中でしばしばそう声をかけていた。
たいして疲れてもいないよ、と言いたくなることもあったが、
それがあいさつ言葉になじんでしまっていた。
いつもいつも、優しさが言葉にこもっていた。
信濃のここでは、
「ご苦労さんです」
と声を掛け合う人が多い。
「ずくがありますね」
とも言われる。
「ずく」という方言には根性とか根気とか、バイタリティとかの意味があるらしい。
努力を讃える響きがある。
中国では、「辛苦了(シンクーラ)」、苦労をかけました。
その人その人の能力で、
荷物を一つ背負っても、
十個の荷物を背負っても、
「お疲れ様です」
いたわりの言葉をかけられる。
「よくやってくれました」
ねぎらいの言葉をかけられる。
いたわりと、
ねぎらいと、
感謝、
それが欠乏した社会は、
殺伐としたものになる。
無視は意欲を減退させ、
疲労感も充満させる。
「手伝いましょう」
「一緒にやりましょう」
一緒にやって、
「お疲れ様」
「御苦労様」
「ありがとう」。
ほんとにうれしくなってくる。
親愛の情が通い合う。
一緒にやった体験が、
協働が、
ともに味わった苦労が、
人と人とをつないでいきます。
心と心をつないでいきます。
やらないで心をつなごうったって、どだい無理です。
人間、万能ではない。
不足だらけです。
欠点だらけです。
理想をめざす政治も、
成績をあげる経済活動も、
楽しく学ぶ学校教育も、
家族の幸福も、
メンバー同士、パートナー同士が、
相手を支え育てあう心なくして、
できることではない。
人を育てるには、
人の真意を聴く、
その心のなかを聴く、
そこから始まる。
国民が政治を育てるのです。
国民が政治家を育てるのです。
国民と政治家との関係にも、
「聴く」がある。
そして「観る」があり、
「一緒にやりましょう」がある。
聴いているつもりだろうが、聴いてはいない。
「聴けない」「聴かない」、
観ているつもりだろうが、観ていない。
そうして、声高に非難し、悪態をつく。
それが関係性を悪化させる。
行動しなけりゃ分からない。
声に出さなきゃ、分からない。
声に出して、いたわりましょうよ。
声に出して、ねぎらいましょうよ。
そして人を育てましょうよ。