ヘッセ、放浪する人<2> 「木」

写真「安曇野地球宿」


 今年は、第一次世界大戦(1914-1918)が勃発して100年になる。この戦争による戦死者、戦傷者は、2500万〜4500万人であるという。「すべての戦争を終わらせるための戦争」と言われた戦争だそうだが、その後も戦争は絶えることなく続いている。しかしまた、共生社会、戦争なき世界を画いて、国境を自由に超えていくことのできる「ユーロ」というステップを人間は歩んでいる。
 ヘッセは、国が軍備を拡張することに反対し、第一次世界大戦が勃発したときは、戦争反対の表明をした。
 「放浪」のなかで、ヘッセは「木」という文章を書いている。この文章を読むと、木を尊敬し、木を愛するヘッセの心が、しんしんと伝わってくる。同時に、読むものの心に木への思いがふつふつと湧いてくる。


     ☆    ☆    ☆

 <木は、私にとっていつもいちばん痛切な説教者だった。木が森や林をなして生きているとき、私は木を尊敬する。木がひとりぼっち立っているとき、私は木をなおいっそう尊敬する。木は孤独者のようだ。なんらかの弱みからこっそりのがれ去った隠遁者のようではなく、ベートーヴェンニーチェのような、偉大な孤立した人々のようだ。そのこずえの中で世界がざわめき、その根は無限のものの中にいこっている。しかし木はそれに浸りきってはおらず、生命のあらゆる力をあげて、ただ一つのことを成就しようと努める。すなわち彼らの中に宿っている彼ら自身の法則を実現し、彼ら本来の姿を作り上げ、自分みずからを表現しようと努める。
 一本の美しい強い木ほど神聖で模範的なものはない。
 ‥‥
 木は神聖なものだ。木と話すこと、木に耳傾けることのできるものは、真理を知る。木は、教えも処方も説かない。木は、個々のものを意に介せず、生の根本法則を説く。

 ある木は言う。
 「私の中に一つの核、一つの火花、一つの思想が隠れている。私は永遠な生命の生命だ。永遠な母が私を作ることによってあえてした試みと企ては一回きりのものだ。私の形と木目模様は一回きりのものだ。私の勤めは、この特徴のある一回きりのものの中に、永遠なものを形づくり現すことだ」と。

 ある木は言う。
 「私の力は信念だ。私は自分の祖先のことは何も知らない。毎年自分の中から生まれる幾千の子どもについても何も知らない。私は自分の種の秘密を最後まで生きる。そのほかに私の思い念ずることは何もない。私は自分の中に神のいますことを信じている。自分の勤めの神聖なることを信じている。この信念によって私は生きている」と。

 私たちが悲しんでおり、生きることに、もはやよく耐え得ないとき、ある木は私たちにこう言うかもしれない。
「静かになさい! 静かになさい! 私をごらん! 生きることは楽ではないとか、生きることは困難ではないとか、そんなことはみな子どもの考えだ。おまえの中なる神をして語らしめなさい。そうすれば、そんな考えは沈黙してしまう。おまえは、おまえの道がおまえを母と故郷から連れ去りはしないかと、心配している。しかし、一歩一歩、一日一日がおまえを新たな母のところに連れて行くのだ。故郷はおまえの中にある。でなければ、どこにもない」と。
 ‥‥
 木は私たちより長い生命を持っているように、長い考えを息の長いゆうゆうたる考えを持っている。私たちが木に聞かないかぎり、木は私たちより賢い。それに反し、木に耳を傾けることを学べば、その時こそ私たちの考えの短さ、あわただしさ、子どもらしい気短さが、比類のない喜ばしさを獲得する。木に耳傾けることを学んだものは、もはや木になろうとは願わない。自分があるところのもの以外になりたいとは願わない。自分があるところのもの、それが故郷だ。それが幸福だ。>

 昔、穂高中学校の音楽の授業をのぞき見て、「田舎のモーツァルト」という詩を書いた尾崎喜八は、ヘッセを愛した。「山村にて」という詩の中に、次の一節が出てくる。


    人がそこから汲み上げる平和、
    人が水桶へあけるかぎりない涼しさ。
    あの井戸の近く、大きい柿の木の下で、
    或る年の夏を暮らすべき自分を私は夢想する。

    その時、一冊のゲーテ、一冊のヘッセとともに、
    わたしは人生の最上のものを知るだろう。

    山と、青葉と、空と、星、
    自然と人間とに最も強く結びついた単純な生活の
    つきぬ豊かさから学ぶだろう。

    黒びかりする柱を照らす吊りランプ
    たそがれの厨(くりや)でものを煮る香。
    あすは発ってゆくこの山間の古い家を
    わたしは遠い昔から知っている気がする。