理想と志


NHKの大河ドラマ龍馬伝」では、武士に「上士」と「下士」があり、「上士」による「下士」への差別がかなりひどかったように描かれている。
そこから対立も繰り広げられた。
「上士」から徹底した差別を受けていた下士たちは、その鬱屈した力を「尊皇攘夷」に向ける。龍馬も侍以下の郷士という下士の身分だった。


「下克上」を防ぎ支配体制を盤石にするために、徳川幕府は、幕藩体制と細分化した身分の固定を行った。
それは徳川体制の永久化を図るものではあったが、戦国の世のような戦乱をなくす政策でもあった。
身分制度は、「士農工商」とその外に被差別の二つの民「えた、非人」を置く。
さらに武士階級に「上士」と「下士」があるように、農民にも上農と下農があった。
田地と屋敷をもつ「本百姓」と土地を持たない「水呑百姓」である。
自作農と小作農の差別は昭和まで続き、戦後の農地解放によって大地主はなくなった。
江戸時代の身分制度の「商」は町人。
「商」を「農工」より下に位置づけてはいたが、
江戸時代が進むにつれて、町人の力は士をしのぐほどにもなってくる。


野火迅は「へたな人生論より 藤沢周平」(河出書房新社)において、
こんなことを書いている。
たまたま野火迅は、越後の国の高田で、高田藩の城下町図を手に入れた。
それを見ていると、「壱万八千石」と書かれた屋敷があった。
家老の屋敷だった。
一つの小藩の家老の石高としては、壱万八千石は飛び抜けている。
江戸時代の一石は、円換算するとおよそ6万円に相当すると野火迅はいう。
そうするとその家老の年収は、10億8千万円になる。
そこで、藤沢周平の作品に出てくる海坂藩の「上士」と「下士」の石高を見ると、次のようになる。
上士  300石以上
中士  100石〜200石
下士  100石未満

「百石や三十石の部屋住み身分というものは、しかるべき家に婿にでも入ればともかく、
それまでは家中のゴミにひとしい存在とみなされるのである。」(『風の果て』藤沢周平


どんなに堅固な体制でも、永遠に続きはしない。 
下士」からの体制転覆が始まるわけである。


坂本龍馬土佐藩では侍以下と見なされた郷士であり、西郷隆盛大久保利通薩摩藩の下級武士で、初代内閣総理大臣伊藤博文にいたっては、その父・十蔵が、長州萩藩の中間(武家の奉公人)の婿養子に迎えられる以前は、農民の家柄であった。」
「彼らの起こした明治維新によって徳川260年の汚濁が一掃され、いったん日本全土が浄化されたこともたしかであろう。」


そこで野火は、古今東西のあらゆる革命を「歴史の青春」と見なす。
古今東西のあらゆる革命について言えることは、すくなくとも革命を果たさんとする志だけは、青年のような理想と生新の気に満ちている。」


この意見には賛同する。
明治の革命の志も、やがて権力の座について体制の固定と強化に腐心するようになるにつれ、
道を過っていった。

現代にも通じる。
現代も常に新たな差別構造を台頭させており、
改革、革命をなさんとする青年のような理想を掲げた志士が出てくる。
そして、それに対して、必ずその動きをたたきつぶそうとするものが現れる。
理想の志を支え育て、そこに生新の気を吹き込む民衆の動きがほしい。
常に新たな新陳代謝と、新たな志を生む土壌を育てていかねばならない。