霧の中



朝起きたら、すりガラスのように白っぽい窓、結露している。
霧がたれこめていた。
外に出る。一枚多く着込んできた。
枯れ草に霜が降りている。初霜だ。
「霧がながれる〜ソバ畑〜、ランちゃん〜、ウンチはまだですか〜」
以前即興でつくった歌が、頭に定着している。
50メートル先は見えない霧、歌いながら歩く。
途中でランは、ウンチをする。
それを紙にとって、ポリ袋に入れて持ってかえる。
濃霧のときは、鳥も飛ばない。


「太陽も顔を出さない、霧に閉ざされた」この感じ、ふっと思う。
何も見えない乳白色の世界、いつまでもこの状態がつづいたら、どうなるだろう。
心がめいってしまう。
しばしの霧でも、こんな心境、
もしそれが続いたら……。
想像力がかきたてられる。


暗い寒いうつうつとした日々が、いつまでも続きそうに思われる長い冬のイギリスでは、
何人もの人が春を待てずに自死すると聞いたことがあった。
いつかは春が来る、
分かりきっている、
だが春を思いえがけず、耐えられず世を去っていく人がいる。
日本では、相変わらず年間3万人以上の自殺者が出ている。
社会や家庭の問題、貧困、うつ、原因は何か。


仕事を失った若者、
派遣社員を10年間、
働けど働けど正社員として雇われることがなかった。
結婚して子どもも生まれたところへ襲来した金融経済の危機。
仕事が打ち切られた。
失業。
新たな仕事が見つからない。
先が見えない。
冬が来る。
この若者の絶望感。
先が見えず、思い描けず、


ホームレスのテント村、
仲間がいるところには少しは救いもある。
会話のあるところ、
通い合うものがあるところ、
そこでは心を慰められもしよう。
孤立し閉じ込められた生活に陥っている人には救いがない。


当時九歳と四歳の二人の子どもを連れて、
横浜桜木町の路頭に座った、乞食の俳人、相良万吉。
病気と怪我で、働くことが出来なくなった。
明日の米代にも事欠く生活になった。
昭和二十七年から三十二年まで、新宿、上野、数寄屋橋に、達筆の俳句を掲げて、路上に座った。



      施すも施さるるも花吹雪

      子らも仰げ慈悲の都の空の虹

      散る柳乞食の函(はこ)に頂かん

      夕立に濡れて乾いて乞食なり

      北風(かぜ)吹けば南に座れ父が楯