訃報



 家内が切り取った人参のヘタの部分を水に浸けていたら、かわいい芽が出てきて、杯にいれている。窓から入ってくる冬の日差しを受けて、人参君が美しい。



『年輪』(大阪府教職員互助組合 退職会員の広報紙)がおくられきた。
冊子の最後のほうに、「ご冥福をお祈りします」のコーナーがあり、去年亡くなられた会員の名前が掲載されている。
今号には、66人の名前があった。
このなかに知人友人の名前を見つけることがある。


知っている人はいるかなあ、と確認しながら
一人ひとりの名前に目を通していく。
遠くなったあの日、あの熱い時代を思い浮かべながら。
この人ともどこかで出会っていただろうなあ、
でも名前は記憶に残っていないなあ、
と一人ひとり見ていく。


51番目、ぼくの目が釘づけになった。
やっさん、おー、やっさん。
お前、どうした、亡くなった? まさか、
お前、2001年に重慶から武漢まで、夫婦で三峡下りをして、
その翌年ぼくが武漢に行くとき、いろいろな情報を送ってくれたなあ、
ぼくが武漢から帰る時、東湖のほとりの歴史博物館であれを買ってきてくれと、
初孫に贈りたいんだと、
赤ちゃんの紅い靴を頼んだから、博物館の記念品売り場で買って、
日本に帰ってから、お前に送ったら、
金剛山の麓のぼくの羽生の宿に、ビール券を贈ってきてくれた。
現役時代は長く教育運動を一緒にやった。
学生時代は、お前は後輩で、一度ザイルを結んで、岩登りもした。
お前は、こうもり傘を、ザックに差し込んできた。
学生自治会の活動家から、教職員組合の活動家になり、
教育実践に打ち込んでいたが、
お前は、大声で演説したり、激しく声を荒げて話すようなことはなく、
いつもとぼけたような、朴訥な声で話した。
まだ、若いではないか、
まだ、早いではないか、
どうして逝かねばならなかったのか、
奥さん、どんなに悲しみ、嘆いていることだろう、
どんどん人は去り、時代は移り、
消えていく。
ご冥福をお祈りします。
やっさん。