美しい景観とは




昨年秋、市の景観審議会委員の公募が行なわれたので、安曇野の環境と景観への想いがあったぼくは、応募動機と小論文を添えて委員に応募したがかなわなかった。
半世紀の人生のなかで醸成されてきた環境と景観へのぼくの意識をベースにして、安曇野を観察し、生活して考察したことを訴えたのだが。


大阪で育ち、奈良に長年住んでいたぼくは、大阪・奈良の環境変化をつぶさに見てきた。
高度経済成長と共に始まった「滅びゆく大和」。
小学生のころには水泳場もあり、澄み切った水の中で魚を獲った大和川の汚染は年々ひどくなり、
大阪の周辺部も奈良盆地も、農地を切り刻まれた宅地は住宅に埋め尽くされた。
歴史遺産と自然と田園が調和したうるわしの大和は、無秩序な開発や行政の無策、住民の生活欲求、無自覚無関心によって見る影もなくなっていく。
東大寺春日大社を核にする奈良公園も、法隆寺を中心にする斑鳩の里も、薬師寺唐招提寺の西の京も、周辺に押し寄せる調和を欠いた住宅群に包囲された。
そうなってしまうと、もうどうしようもない。
後追い行政はいかんともできず、お手上げ状態となった。


それは日本全体に共通する。
安曇野もいずれはそうなるのではないか。
山と田野に村や町は、すでにほころびはじめ、無策が現れてきている。
安曇野は今が瀬戸際にあるように思う。
安曇野に住み、毎日安曇野を歩いて、感じるところがある。
自然、田園、屋敷林、文化芸術など、豊かな要素のそろっているにもかかわらず疑問が生じる。
市の景観審議会テーマでは「良好な景観を創出する」とある。「守る」ではなく「創出する」、それは現状維持ではなく積極的に創っていくという意味を込めたものだ。
人間は生きるために環境を変え、景観も変容してきた。調和を欠いた無秩序な景観はその結果だった。
ヨーロッパのチロルを研究してきた環境学者の松田松二氏は、
「天上から吊り下ろされた楽園」と呼ばれたチロルの美について、「チロルの美しい景観は単なる自然的環境要素の寄せ集めではない。至る所に人間の営みが加わり、それらが谷独自の景観を創り出している。」と説いた。
住民の自然との交わり方は自覚的なものであり、「自然と結ばない文化は堕落する」とも述べた。
良好な景観は、田園、街、道路など人間のつくったものと自然との調和、その一体の世界に存在する。
良好な景観は心と身体に調和するからこそ、いやしをもたらす。良好な環境こそが良好な景観の元になる。
環境は、「歩く」という行為を通して、より直接的に、感覚的心理的、肉体的にとらえられていくものだが、
安曇野を散策する人は少ない。観光客も、歩かずに、点から点へと車で移動する。
イギリスは、パブリックフットパスの思想を稔らせた。人間は本来大地を歩く権利を持っているのだと、国土の至る所に、車の入らない、人間の歩く小道を通した。それは既にある小道をつなぎながら、私有地も歩けるようにして生まれたものだった。
イギリスの実践は、産業革命によってもたらされた惨憺たる環境破壊を乗り越え、1人の100万ポンドよりも100万人の1ポンドを合言葉にしてナショナルトラスト運動を結実させた。
それはやがて世界遺産の広がりにつながっていく。
「この景観は100年かけてつくってきた、これから100年後も変わることなく続くだろう」と、住民が誇りに思う景観、それは住民の意識的、自覚的な実践の賜物である。
この意識的な取り組みはヨーロッパ全体に通じる。
日本でもこの思想は導入され、環境保全が進んだ。しかしそれはまだ点に過ぎない。
安曇野の環境は、産業と調和するようにと考えられてきたものの、全体の調和を欠き、成り行きのままに手を加えてきた結果としての現在ではないかと思う。
だからどこを見ても、どこに位置しても美しいという景観ではなくなってしまった。
やはり経済が優先されたせいではないか。


小学校中学校での教育も含めて私たち市民がなすべきことは、まず自分たちの郷土を知ることである。
安曇野の自然、人の歴史、農業、人の暮らし、人の情、育まれてきた芸術文化、教育・科学、それらをトータルに学び知ることから始まって、現代の問題にせまっていかねばならない。
価値ある景観とは何か。誇るべき環境とは何か。美はどこにあるか。
ポイントは、「山と川と田園と、建造物の関係」「芸術文化伝統行事が生きる風土」「住宅・建造物とそれを囲む樹木の関係」「道と並木の関係」「街づくり」である。
市民はどこが、どれが美しい景観だと観ているか。
市民はどこが、どれが醜悪な景観だと観ているか。
優れた景観を市民みんなで選び出し、
その美は何によってもたらされているか、その逆に醜悪な景観、美を感じない景観を選び出し、それはなぜそう感じるのかを考えることである。


「良好な景観」は「良好な環境」によってもたらされる。環境が悪化すれば景観は崩壊する。
「良好な環境」は、市民の創造的な実践から生まれてくる。