日本のオオカミはなぜ絶滅したか

       『絶滅した日本のオオカミ その歴史と生態学』(ブレット・ウォーカー)


公立学校の教職にあったとき、夏休み、ぼくは中学生たちと吉野地方の山々へよく出かけた。
「つちのこ探検隊」という空想的シナリオだが、子どもたちは山の不思議にロマンをかきたてられ、冒険心がふつふつ湧いてくるようであった。
「つちのこ」という伝説の蛇の話と、もうひとつは絶滅した実在のニホンオオカミにまつわる話、キャンプファイアーの火を見つめながらぼくは子どもたちに語った。
ニホンオオカミはいまだ生存しているのではないかと思われるような不思議を、この山系に入っていくつも体験したことがある。それが子どもたちへの話の種になった。
子どもらはかたずをのんで耳を傾けた。
テントの中でも登山の時も、彼らは探検気分でわくわくしていた。
大峰山脈、大台ケ原、台高山脈などの奈良県三重県和歌山県にまたがる紀伊山地は、植物相の多様さ、樹木の繁茂の濃密さは尋常ではない。そこは日本一の多雨地域であり、山も渓谷も深く、険しい。
生徒たちと登った弥山谷源流の狼平で野性の匂いを嗅ぎ、台高山脈の明神平の霧の夜には、不思議な動物の鳴き声に取り囲まれた。生徒たちは山の原始におびえ、畏敬の念を抱いた。
史実で明らかなことは、ニホンオオカミの最後の一頭が殺されたのは1905年、東吉野だった。毛皮はイギリスに送られた。


今年、オオカミの生きていた山の日々を突如思い出す一冊の本に出会った。
昨年の暮れの12月25日に出版された、『絶滅した日本のオオカミ  その歴史と生態学』(北海道大学出版会)という本である。
驚くなかれ、この本はアメリカの学者が書いている。
著者ブレット・ウォーカーは、モンタナ州立大学歴史、哲学科教授。専攻は日本の近世史。
内容は詳細を極める大著である。
ブレット・ウォーカーは、北海道大学に留学し、日本各地を歩き、日本の古文書、古典、歴史書、あらゆる文献を読み、ニホンオオカミ最後の一頭が狩られた東吉野にも、その他のオオカミゆかりの地にも出かけて現地調査をしている。
そして容赦なく迫害されたアメリカのオオカミがかろうじて一部の地域で生き残り、江戸時代までは神として崇められた日本のオオカミがなぜ完全に滅亡したのか、ブレット・ウォーカーは考察する。


北海道にいたエゾオオカミも、本州にいたニホンオオカミも、どちらも完全に滅んだ。
それでもまだ生き残っていると言う人もいる。
昔、日本人はオオカミを大口の真神と崇め尊敬し、農民はこの幻のような動物に、イノシシやシカの被害から農作物を守ってもらっていた。
東吉野ではオオカミの巣穴の傍らに祝いの赤飯を置いてくることさえしていた。
オオカミはどのように生きていたか。人間にとってどんな存在だったか。
なぜ滅んだのか。
滅んだ後、日本の自然界はどうなったか、ブレット・ウォーカーはニホンオオカミの世界に深く入っていく。


日本でもオオカミを調査し研究した人はたくさんいる。
柳田國男は、ニホンオオカミ最期の地、吉野地方に修験者のように分け入り、神聖な山々と古代国家が存在した地に没入して調査した。
そして、棲息地の消失と人口増が、オオカミにとって何より重要な群れ生活を崩壊させるに至った、と論じた。
日本人が山間地に入植したためにオオカミの棲息地に環境変化を生じ、その変化がオオカミの群れを崩壊させ、孤狼を生み出した。孤狼になってしまうと、本来社会性動物であるオオカミは生存競争に苦しみ、最後には日本列島から消えてしまった、そしてオオカミの血は日本犬と交配して受け継がれた、という。
京大学士山岳会を創設した今西錦司は、柳田の民俗学の世界観から分離して、生態学から山に入って調査研究している。オオカミの目撃談は1934年まであり、絶滅年よりも長く生存していただろうと、今西は信じていた。大台ケ原や四国の脊梁山脈で、雪の上に残されたイヌよりも大きな足跡を見たという山の住人にも出会った。
紀伊の山に住み、エッセイや記録を書く山人、宇江敏勝は、1905年より後もオオカミは生き残っていたが、戦後の日本産業の大規模な森林伐採による環境変化によって滅びたと主張した。


人間の飼い犬から伝染した狂犬病がオオカミの社会に蔓延したという説、
人間がオオカミ退治に奔走したという説、
人間がオオカミの棲息環境を破壊し、奪い取っていったという説、
いろいろな滅亡原因説があるが、オオカミの絶滅は人間に起因していることは間違いがない。
生態系が狂い出して、シカやイノシシの被害が大きくなると、オオカミのいなくなった自然界の異常が浮き彫りになっている。
北海道では、生態系のバランスを保つためにオオカミの再導入を検討している人たちがいる。
アメリカのイエローストーンでは実際に滅び去ったオオカミを復活させる取り組みをしている。日本の「トキ」のように。
ブレット・ウォーカーは、人間が地球の資産を管理継承しているが、もし社会的動物のオオカミが地球の管財人になっていたら、彼らのほうがよい継承者になったであろうと言う。
人間の科学文明が力を持ちすぎた結果、世界中で環境破壊が進み、多くの生物が絶滅した。
イエローストーン地域と中部アイダホにオオカミを再導入しようとしたとき、アメリカでは国を二分する論争が行なわれた。
反対も多かったが、政府はこの思いきった計画を断行した。地球は人類だけのものではない。


ブレット・ウォーカーは次の話でこの著作を締めくくっている。

日本の山奥にオオカミが生き残っているかどうか確かめるために、奈良県野生生物保護委員会のメンバーが神聖な吉野の山々で、オオカミのハウル(遠吠え)の録音を一晩中流して、縄張り意識の強いオオカミをおびきよせようとした。
しかし、かつて活気に満ちたオオカミの群れのいた吉野の山々は沈黙したままだった。
「この国の神聖な山々でオオカミの声を聴こうとしたが、何も聴こえなかった。これは私にとって悲しい話だ。
人びとは自然界、国の遺産の生命の鼓動を探り当てようとしたが、それはもうなかった。
この人々が聴いたのは、オオカミ絶滅に伴う沈黙だけでなく、いまのベースで環境と生物を無慈悲に侵し続けるなら、
それは私たち人類全体を待ち受けているもっと大きな地球上の沈黙の一例だった。」