水俣病問題から学ぶ

      ――いま安曇野で起こっている問題――


39年も前のことになるが、記憶は明瞭だ。
座席の間に突進したブルーの制服を着たガードマンは、こぶしを一人の学生の顔面にぶつけた。
学生の眼鏡は割れて飛び散る。
ぼくの身体は無意識にガードマンの方に動いて学生を助けようとしていた。
が、ガードマンの力は完全にぼくを上回り、男はぼくの髪の毛をわしづかみにした。
ゴボッと髪の毛は束になって引き抜かれ、男の蹴り上げた脚がふとももや体のあちこちに当たるが不思議に痛みを感じなかった。
「引けーっ、挑発に乗るなあー」
後部座席から大声を発する男がいた。こういう緊迫した非常時に出現するリーダー的な若者だった。
チッソを告発する会」の数百人は、一斉にホールの後部へ退却した。
亡くなった家族の位牌を胸に抱えていた水俣病患者たちも、身の危険を感じて後退した。
1971年5月26日、大阪厚生年金会館で開かれたチッソ株式会社の株主総会は、ホールの前半分を独占した会社側の総会屋と会社の雇った暴力ガードマンに守られ、たった12分ですべての議案を可決したとして会社幹部は退席し、後は30人ほどのガードマンの暴力が、「チッソを告発する会」の「一株株主」に向かって振るわれたのだった。
政府も警察もまったく動かず、暴力を振るった者たちはそのまま見逃された。
家に帰ったぼくの身体は内出血のあざだらけだった。
水俣病の原因を隠蔽し、否定してきた会社の本性がむき出しになったこの株主総会をピークにして、非道はやがて企業自らが崩壊に向かって坂道を滑り落ちていく原因になる。


水俣病公害の歴史は戦後65年続いて、2010年の今もまだ被害は解決せず続いている。
国が応援した企業の悪は、こんなにも恐ろしい結果を子々孫々にまで残し続けていることを直視せよ。
水銀化合物の排水がチッソ工場から海に垂れ流されたのは1946年からだった。
水俣湾の魚にメチル水銀が濃縮され、毎日魚を食べていた漁民たちにまず被害が発生した。しかし、それは原因不明の奇病とされた。
被害は猫にも現れた。魚を食べた猫は、「猫踊り」と人々が呼んだ奇態な症状を起し、のたうち死んでいった。
1959年有機水銀説が熊本大学や厚生省食品衛生調査会から出されると、チッソは「工場で使用しているのは無機水銀であり、有機水銀ではない。工場は無関係だ。」と主張する。
1958年、熊本県水俣湾海域内での漁獲を禁止する。
1959年、熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表。厚生省食品衛生調査会が水俣病の原因は有機水銀化合物であると厚生大臣に答申。この有機水銀原因説に対してチッソは強硬に反論。
水俣湾周辺に限られていた患者の発生が、1959年ごろから地理的な広がりを見せる。
水銀が原因ではないとする学者評論家など御用学者、似非評論家が出現し始めた。
1967年、無機水銀がメチル水銀に変わることが実験的に証明された。しかし排水と水俣病との因果関係が証明されない限り工場に責任はないとする考えかたが続き、結果として大量の被害者を生みだす。
2004年、最高裁判決は、「国や熊本県は1959年の終わりまでには水俣病の原因物質およびその発生源について認識できた、1960年以降の患者の発生については、国および熊本県に不作為違法責任がある」と認定した。
1968年、チッソが有害排水を止めてからは新たな被害の発生はないとして政府は、69年から後に生まれた世代を認定や救済から除外。
だが、海の底にたまった水銀は、その後も被害を出し続ける。
2009年、熊本、鹿児島両県にまたがる不知火海沿岸で、医師有志らが住民健康調査を実施したところ、
水俣病認定救済の地域指定の外に住んでいる受診者約1000人のうち約200人は、天草本島や鹿児島県の山間部の人たちだったが、その9割に水俣病の症状があったことが判明。


なんと長い年月であったことか。
初期の段階での、企業のごまかし、欺瞞と、政府、行政の怠慢の結果が、すでに65年たっても全貌の見えない被害を生んでいるのだ。
数え切れない患者と死者。
死んだ海。
患者に対する差別が生まれた。
反対運動をするものに弾圧が行なわれた。
真実を研究調査するものに妨害が行なわれた。
漁業がつぶれた。
経済にも被害を与えた。
ひとつの環境破壊が、
何世代にもわたって被害を継続し、
地域を越えて被害を広げている。


水俣病公害事件から学ぶことは限りなくある。
各地で起こる環境問題は水俣から学ばなければならない。
被害が出る前に対策をとらなければ取り返しのつかないことになる。


1月22日、長野地裁安曇野のゴミ処理問題の裁判が始まった。
この問題も、被害を受ける側、環境を守ろうとする市民の側が困難な状態に置かれていく事件となりつつある。
企業の欺瞞性、
市民を裏切る行政、
被害を矮小化する行政と企業、
被害地域以外の市民の関心の薄さ、
市議会の鈍さ。
農業をしながらこの問題に立ち上がっている市民たちの運動は、必ず市行政を糾すことになるだろう。
行政は、この運動の行き着く結果を想像することすらできていない。



    安曇野の環境問題 HP「http://azumino53.blog96.fc2.com/」