ストレス





あまりにも寒さが厳しすぎる、暑すぎる、というのもストレスになる。
今はマイナス6、7度。これがマイナス10度、20度となっていくと、こたえることだろう。
新聞に、雪に覆われた白い島の衛星写真が載っていて、これはどこかな、見たことのある島だなと、記事を見るとグレート・ブリテン島とある。
グレート・ブリテン? すぐにそれがイングランドスコットランドウェールズであると頭がひらめかなかった。
日本の本州と同じぐらいの面積のこの島、イギリスが、こんなにも真っ白になるものか。
日本全国に雪が積もったとしても、こんなに真っ白になることはないだろう。
イギリスは高い山脈がない。森も少ない。牧畜が盛んで、牧草地が広がる。
だから雪の積もったグレート・ブリテン島を、人工衛星から見れば白一色になるのかな。
しかし、ロンドンまで、こんなに真っ白になっているのはなぜ?
建物の屋根にも雪が積もっているから?
記事を読むと、零下18度にもなっていて、一部停電も起こっているという。
イギリスの冬は長く陰鬱な天候が続く。うつになり、春を待てないで、自死する人も昔からいた。


ロシアの冬も厳しい。
連日はるかな氷点下がつづいて、ある日気温が零度になった日、モスクワの人たちは「暖かくなったあ」と街に繰り出してくるというのを読んだことがある。
暖かいところで暮らしてきた人なら、零度で暖かいとは、と不思議に思う。
気温が下がっても、それがストレスになる人と、たいしてストレスにならない人とがいる。
ぼくが冬山に入っていたとき、今ほどのすぐれた防寒着もなかったが、マイナス何十度かの世界でも、寒さが心身に影響を及ぼすストレスを感じなかった。
だが今は、寒さが厳しくなると、どういうわけか背中が冷たく固くなり、痛みのような感覚をおぼえるようになった。
気温という物理的なストレスが、体や心に影響を与える。


徳村彰さん、「おじじ」がこんなことを書いていた。

「一日中汗した後、月を見、星を見、時には雪の中で五右衛門風呂に入って汗を流す。
ひょんなことから塩水浴というのを続けている。
五右衛門風呂に入った後、石けんを使わず海水からとった塩を体中に塗り、
沢に入って冷水を浴びる。
氷点下20度の日でも、氷の間から流れ出る冷水を浴びると本当に快適である。
おれは生きていると叫びたくなる。
これ以上何もいらないと思えるほど幸せだ。
アイヌの人たちの幸せに半歩ほど近づいたような気がする。」


さすが森の人「おじじ」だ。
徳村「おじじ」の、「森の子どもの村」には、真冬も子どもたちが集まってきて暮らす。
流氷の来る紋別近くの滝上町の森のなかだ。


 「カマクラはもう5メートル近くになっています。その頂上からリュージュよろしく、ソリで突っ込んでいく子、
スノーボードのように立ったままひもを片手に滑り降りる子もいます。
山の上で雪のかけっこをする子、対岸のがけを登りに行く子もいます。
二歳になったばかりの孫の萌も、負けじと小さなソリを引いてヨチヨチ登っていきます。
‥‥
 竜一は川を見るとかまわずザブザブと入っていきます。
零下十数度の世界の中でも、それをやるのだからたまらない。
『おめえよう』と、子どもらに言われながら、それでもエネルギーにあふれる竜一は山にも登ろうとします。
 一緒についてきたお母さんは黙ってそれを見送ります。それは子どもたちや仲間に信頼があるからなのでしょう。
彼を囲んでワイワイキャッキャッと、山登り組の声が坂の上に消えてゆきます。
 五右衛門風呂が沸くと女の子が五人一緒に入って、川の水を浴びます。
『もう十回水かぶったよ!』
と得意がる子もいます。
 冬休みを利用してやってきた子ども十三人、大人八人、旭川学童保育のメンバーはエネルギーにあふれ、何げなく優しい心遣いをチラッと見せます。大人もトトロのカマクラを作ったり、自作のカマクラに夜泊まったりしています。」


「おじじ」や親、お兄ちゃんやお姉ちゃん、大人スタッフに、しっかり見守られているから、
仲間が支えてくれるから、
仲間がともにチャレンジするから、
彼らはストレスを超えて、冒険や鍛錬に踏み込んでいく。


強風が吹きすさびつづけると、ストレスになることもある。
いやだと思う。不安、恐怖が起こる。
止んでほしい、
そこから逃れたい、と思う。
身体がこたえ、精神が揺れる。
安全な所にいて、やがてこの暴風もおさまると思えば、ストレスにはならないが、
それに耐えられず、それから脱出する見通しがないように感じると、ストレスは精神をさいなむ。


人工的な刺激から来るストレスがある。
騒音という刺激もストレスになる。
沖縄の基地問題の一つの騒音問題。
そこに住んでいる人たちにとっては、目の前にある基地の飛行機の発着がある限り、騒音と事故に対する不安と恐怖は解消しない。
多くの人間の限界を越えている社会問題は我慢せよ、乗り越えよ、ではすまされない。



気温が下がっても、それがストレスになる人と、たいしてストレスにならない人とがいるように、
刺激に対して敏感な人と、それほど敏感でない人とがいる。
元気な子どもたちは、思いきり走り、思いきり叫び、思いきり遊ぶ。
児童館のなかでの子どもたちの声、ボリュームいっぱいに叫んでいる。
ぼくにはそれはうれしい声で、子どもはエネルギーの固まりだなと思う。
公園で子どもたちが遊んでいる。
公園の子どもの声が騒音だと役所に訴える人が出ていると、NHKが「クローズアップ現代」で報じていた。
自然界の刺激に対してなら、苦情の言いようもないが、刺激が人的なものならトラブルにもなる。
公園に接して住む人の中に、子どもたちの遊ぶ声がストレスになる人がいるということだ。
それは「騒音」ではなく、「煩音(はんおん)」であると学者が語っていた。
子どもの声をうるさく、わずらわしく感じる人と、その声を心地よく感じ、それ聞いて元気になる人とがいる。
音楽のロックやジャズも、さわがしい雑音だと、感じる人もいる。
徳村さんだったか、書いていた。
オートキャンプ場のそばに川があり、その川の水音がキャンプしている人の耳にわずらわしく、うるさいと感じる苦情が出ているという。


ストレスになる刺激を取り除くこと、少なくすること、それは生存していく上で必要であるが、
刺激に対する耐性や受容力を育てることも必要なことだ。
自然界からへだたった生活をしている現代人には自然界の声まで耐えられなくなるとすれば、これは怖い。
もっと自然の中に入って、感受性を育てなければと思う。
公園の「煩音」問題は、ストレスになっている人の気持を聞き、とコミュニケーションを深めていくことで、子どもたちと住人との距離が縮まり、苦情がなくなっていった、すなわち「煩音」でなくなっていったとも報じられていた。
一人ひとりが閉じこもらずに、人と人とが交わっていくことから、ストレスの深刻化も防げる。


人間が原因で、救いようもないストレスを生み出すもの、自然災害で生み出すもの、
戦争、事故、貧困、失業、ホームレス、差別、いじめ、虐待、飢餓、‥‥
地震、水害、旱魃、‥‥
その恐怖、不安、悲しみ、憎しみ、恨み、絶望、孤独、‥‥
ハイチで大地震が起こっている。1月17日、阪神大震災が起こった日だ。