野性を消滅した子どもの暮らし

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 今朝の新聞の声欄に、次のような投稿があった。要旨を書く。

 「最近の子どもの8割が近視で、10センチ離れたものを見るのも苦労する子どもがいるという。専門家は『国家的危機』と述べている。原因は、外遊びの減少だ。子どもから外遊びの機会を奪っているのは大人だ。かつてはあちこちに空き地があり、子どもらは自由に駆け廻っていた。今は、子どもを狙った事件や事故、いじめ、塾通い、宿題の負担などで子どもを屋内に閉じ込めざるを得ない。子どもたちがもっともっと外で遊べる環境を整えられないか。」

 この記事を目にしていた時、テレビで、発達障害の子どものことを報道していた。

 痛みを感じない子どもが出てきている。怪我をしても痛みを感じない。体の中に痛みがあって病気を知らせているはずなのに、痛みを感じないから重体化する。これが発達障害の一つだと分かった。痛さ、寒さ、暑さなど刺激を感じられない、これは危険を感知することができない発達障害だ。何らかの発達障害の子は10人に一人だという。

 子ども時代は、たっぷりと直接体験を積んで、体や心、感性を鍛え、感情を豊かにしていく時代だ。その体験、鍛錬の場が、遊びと自然と子ども社会なのだ。それらを現代社会は消滅させてしまった。子どもの発達障害は発育過程の重大な欠損に原因がある。

 今、学校から帰ってきて日が暮れるまでの時間帯に、また土曜日や日曜日に、街や村や野で遊ぶ子どもの姿が見かけられるか。皆無だ。どこに子どもが群れて遊ぶ声が聞こえるか、皆無だ。

 日頃の暮らしで、子どもはどんな自然に触れているか、どんな命に接触しているか、どんな野性体験をしているか、皆無だ。

 この恐るべき消滅。まさに危機ではないか。

 今の子どもは、家という箱の中、学校という箱の中、車という箱の中、塾という箱の中で子ども時代を消耗している。

 本来子どもは、大自然のなかで遊び、冒険し、探検し、観察し、採集し、獲物をつかまえ、数々の刺激を体感して、育つものだ。

 この虫は何だ?

 この小川、飛び越せるか?

 この木、登れるか?

 この実、食べられるか?

  

 自然災害がこれからもっと深刻になるだろう。自然破壊をしてきた人類に自然はその見返りを提供する。重大なその危機も感知しない人間が増えていく。