アケビコノハ<児童館で>



 「玄関の軒にねえ、木の葉がぶら下がっていただ。手で取ろうと指で持ったら、ぐにゃりとして、なんだい、これは、木の葉じゃないよ。蛾なんだ。冬眠してたんだよ。」
マコト、サトル、これを見ろ。
木の葉そっくりだねえ。たまげたねえ。
 S先生は児童館に持ってきた蛾をみんなに見せた。二匹もいる。
なんとまあ、よくこれだけ木の葉そっくりにできたもんだね。
「擬態というんだが、こりゃあ、自分でこうしようと思ってできるわけじゃなし、
神様がつくったものとしか思えないねえ。」
進化論では、鳥などからねらわれにくいものが生き残ってきて、
結局こういう擬態が偶然の結果残ったということになるのだろうけれど。
S先生は、児童館から100メートルほど離れたところにある図書館から図鑑を借りてきた。
「これだ、これだ。」
アケビコノハという名前が付けられた蛾だ。
アケビの樹の葉を食べるらしい。
「図書館に、昆虫に詳しい子がいてね。これを見て、ブドウの葉を食べる害虫だ、と言っただ。」
この自然界の芸術品が、害虫という言葉で一刀両断にされてしまったことに強い違和感があった。
虫を益虫、害虫の二極に分けて、それで虫を判断してしまう。
人間だけの都合からくる判断で。
虫から言わせれば、私は益虫でも害虫でもありません、私は私です、というだろうね。
二匹を観察する。
ぺたんと紙箱に置かれた翅が葉っぱのような蛾、裏側はどうなってるのかな。
裏返してみた。
ありゃあ、裏側も木の葉だ。
木の葉のような両翅がくっつくように閉じ、その間に胴体や脚や頭が格納されている。
ええー、こりゃまたよくできている。
頭は葉柄の出ているところにあって、かわいい黒目が点となって付いている。
葉柄の先端は、木の葉そっくりに枝につく部分が少し大きくなっている。
じゃあ、この葉柄は何だ。
観察すればするほど、感嘆の声が出る。
「葉脈もあるしねえ。」
葉の先端の細く尖って湾曲しているところも、自然の葉っぱそのものだ。
「葉っぱのこの部分に緑色の苔のようなものが付いているでしょう。
これ、二匹同じですよ。」
翅の真ん中辺りに小さな緑の粒がある。
S先生は図鑑の写真を見て、
「おっ、写真のにも苔のようなのがついているよ。」
まいった、まいった。
これほど枯葉そっくりに、どうやってつくったんだろう。
アキノブが来た。
「アキノブ、これ何か分かるか。蛾だよ。」
それを聞いたとたんにアキノブは逃げ腰になって後ろに下がって行った。
蛾は嫌い、触るのも見るのも嫌だ。
「そんなんじゃ、科学者になれんぞ。」
「科学者なんかなりたくないもん。」
「科学者はどうでもいいが、逃げていたら科学はできないぞ。」
「できなくてもいいよ。」
嫌なものは嫌、こういう会話ではどうにもならない。
押し付け会話は失敗のもと。
それにしても、農薬を使う生活が当たり前になっているから、
蛾は、農薬で退治される昆虫になっている。
子どもも「よい、わるい」「すき、きらい」の二極判定をしてしまう。