アイルランド「麦の穂をゆらす風」





和人君が、2002年に単身大陸を旅しながらアイルランドを目指したのを、思い出していた。
和人君は、アイリッシュケルティック・ミュージック、とりわけロックバンド、U2にあこがれ、アイルランドへ行きたいと思った。
彼は和歌山の森林組合に雇われて林業をやっていたが、いったんそれをやめ、旅の資金捻出に真夏のかんかん照りの中、道路舗装工事のアルバイトをして資金をつくった。
ザックを肩に出た彼の旅、
中国から東南アジア、再び中国に入ってチベットからネパール、インドへと、バスや列車を乗り継ぎ、
パキスタン、イラン、アラブ諸国をめぐって、イスラエルからエジプトにたどりついたところで、
彼の1年半の旅は終わった。
アイルランドまでの残りの旅は彼の中で、かすんでしまった。
そこまでの旅の過程が、心のなかのアイルランドをかすませてしまったようだった。
イラク戦争が勃発していた。


ぼくは、アイルランドという国についてはイギリス軍との戦争の複雑さ、陰惨さは、ニュースで知っていたが、詳しいことはほとんど知らなかった。
アイルランド独立戦争を描いた映画「麦の穂をゆらす風」の上映が、穂高交流学習センター「みらい」で12月11日の夜に行なわれ、
洋子と二人で鑑賞に出かけ、初めてアイルランドに触れた思いがした。


麦の穂をゆらす風」のタイトルは、独立戦争の中で歌われてきた歌のタイトルだった。
舞台は1920年アイルランド
ところどころ潅木が生える牧草地帯が丘や低山をゆるやかにおおい、
鶏が石造りの農家の周りで餌をついばんでいる平和な農村にイギリス軍が侵攻してきて、
麦の穂をゆらすのどかな農村に銃弾が飛び交うようになった。
イギリスによる圧政からの独立を求める若者たちは義勇軍を結成する。
青年たちは、世界の大国、イギリス軍相手の過酷な戦いに身を投じていった。
激しいゲリラ戦、村の少年がイギリス軍につかまり、拷問によって義勇軍の拠点をはかされた。
口を割った少年は、裏切り者となり、彼を弟のようにかわいがってきた義勇兵に連行されて処刑される。
処刑された少年の親と村の義勇軍の兵士の心は切り裂かれた。
独立戦争は、講和条約にこぎつけたが、条約の内容をめぐって、支持派と反対派は対立し、同胞が戦う内戦へと発展する。
講和を受け入れた側と、あくまでも完全な独立を要求するものとの内戦は、兄弟の仲を裂き、講和派の兄に捕えられた主人公の弟は、兄によって銃殺処刑される局面へと進んでいった。
処刑された弟の遺書をもって兄は弟の恋人に届けに行く。恋人の悲嘆、苦悶する兄。
親しく仲のよかった村人を引き裂き、兄弟を殺し合わせる戦争の非情と、村人の葛藤、苦悩、嘆きが、重い重い映画だった。
人間というものの、業のようなものを感じた。
強大な国家権力をもった国はいずこも、弱小の民族や国を支配下に置いてきた。
いったん支配下に置くと、独立は容易ではなかった。
今も、大国からの独立に対して非情な弾圧が繰り返されている。
悲しみと憎悪の傷は深い。


内戦はつい数年前まで続いてきた。
敢然解決には至っていないが、今は静穏な状態にあるのだろう。
アイルランドは音楽の国。
アイルランドには音楽があふれている。
パブにも、家庭にも、街角にも。アイルランドではいたるところで音楽が奏でられ、歌い、
音楽が生活の中にとけこんでいるという。
「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」
というメッセージを発信し行動してきたのは沖縄のミュージシャン喜納昌吉だった。
このメッセージ、広がれ。
世界に広がれ。