長野の県民歌『信濃の国』




地元の区の高齢者お楽しみ会で、コーラス会が歌うことになったときのことである。
公民館に集まった参加者みんなは、昼食をしながら、歌やお話の出演を楽しむ。
この日、コーラスの会も二番手で歌うことになった。
予定してきた日本歌曲や童謡の数曲を歌って、途中からみんなで歌おうとなり、最後に地元の小学校の校歌を歌った。
それはかつての校歌で、今の高齢者が小学生の時に歌ったもの、
一番の歌詞は、
「八重の白雲おししのぎ/そびゆる日本アルプスの/
気高き峰らんそが中に/いただき高く天を突く/
常念岳の雄雄しさよ」、
歌詞は三番まである。
懐かしい校歌を歌いだすと、みんなの声が大きくなってきた。
歌い終わって、これで会もお開きとなるところで、
指揮者の平林さんが、『信濃の国』を歌いましょうと、みんなに呼びかけ、
知らない人はいないという県民歌をみんなで歌い始めた。
長い歌詞の途中から忘れてしまった人たちの声が鈍りがちになったが、
それでもこの歌の力だろう、
受身になっていた人たちの表情がみるみる元気になっていったのだ。
歌によって引き出されてきた情熱と言えようか。
「お楽しみ会、よかったね」と、何人かの人が声をかけてくれた。
ぼくはこの歌を、ずいぶん昔から耳にしてメロディをおぼえていたが、歌詞の分からないところが多く、
会が終わってから、イワオさんの奥さんに、
「『信濃の国』のDVDかCD、ありませんかねえ。」
と言ったら、数日して奥さんがDVDを持ってきてくださった。
手に入れたくてできなかったDVDだったから、うれしかった。


映像は、信州各地の美しい景色、
合唱は小諸高校音楽科と賛助演奏。
解説として、東京学芸大学大学の名誉教授市川氏が、この歌の歴史を語っている。


   信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
   そびゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
   松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地
   海こそなけれ 物さやに 
   よろず足らわぬことぞなき


愛され、歌い継がれて100余年、
この歌のように、県民の心をつないで歌い継がれている県歌は他にない。
いくつものエピソードがある。
1948年の県議会で、信州の南北が対立して長野県を南北に分割しようとする意見書が中・南信出身議員らから提出され、可決されそうになったとき、
議場の傍聴席から、『信濃の国』の大合唱が沸き起こり、分県決議をつぶしてしまった、というエピソードを聞いたときは衝撃だった。
面積の広い長野県では、長野市を中心とする北信濃、東信濃と、松本を中心とする中信、南信の対抗意識は強い。

信濃の国』は、明治32年の作詞、明治33年に作曲され、当時の師範学校の行事の時に歌われ、学生が教師として県下に散ると、それを各小学校で教え、親から子へ、子から孫へと歌い継がれてきたそうだ。
冬季長野オリンピックの開会式では、スタンドを埋める観客から歌が湧き起こり、甲子園の高校野球大会では長野の高校の応援歌として『信濃の国』が歌われる。


歌の力ということでは、
感動して読んだ児童文学『ビルマの竪琴』を思い出す。
ビルマで戦闘を続けていた日本軍の中に、「歌う部隊」があった。
音楽学校出身の隊長のもと、部隊はよく合唱をした。
手作りの竪琴を奏でたのが水島上等兵だった。
イギリス軍に包囲された部隊は、敵軍を油断させるために合唱を始める。
故郷を恋いしのぶ「羽生の宿」を兵士たちが歌いながら戦闘準備をしていると、突然、相手軍の中からも同じ歌が湧き起こった。
「ホームスイートホーム」、もともとイギリスの歌であった「羽生の宿」。
それを聴いた両軍の兵士たちは、戦闘を中止した。
日本の敗戦を伝えられ、「歌う部隊」は捕虜となる。
映画にもなったこの作品の、いちばん感動する場面の一つだった。