バルトの国の合唱曲 <独立を生んだ歌>


 

図書館のCDコーナーで、眼に飛び込んできた2枚のCDは、
一枚はバルト三国エストニアの合唱団、もう一枚はラトビアの合唱団による合唱だった。
CDケースの表に歴史を物語る教会の写真があり、
中身は,
知らない合唱団に,
知らない曲ばかり。
だが不思議に心がひかれ、ためらうことなく借りた。
家に帰って聴いた。
予感したとおり、
強国に翻弄され抑圧されてきた小さな国、バルトの民の魂がこもった合唱の数々だった。
悲しみと喜び、いたわりと静謐、
心にしみる混声合唱だった。


解説は、東京混声合唱団の常任指揮者、松原千振が書いている。
「合唱のバルト海諸国」の誕生は、1869年の第一回合唱祭に始まる。
今もつづく5年ごとに行なわれる大合唱祭は、民族独立の証となし、
『歌う革命』と、諸国の人に言わせるほど偉大な行事になった。
バルトの民は、大国の支配に苦しみ、悲しみのなかで祖国を歌い続けてきた。
エストニアの首都からラトビアを通り、リトアニアの首都に至る600キロの1本の道。
それを、『合唱の道、バルト街道』と松原氏は表現している。
「合唱という共通語で結ばれるこの道は、これからも人々が往来し、歌声が響き渡ることであろう。
そして、合唱がある限りバルト海諸国は存在し、歌は彼らの存在を証明し続けるであろう。」
と。


バルト三国エストニアラトビアリトアニアは、1918年、帝政ロシアから独立したが、
第二次世界大戦中の1940年、ドイツとソ連の密約によって、ソ連に併合された。
その直後41年から44年までドイツ占領下におかれ、ドイツ敗北後再びソ連圏に入れられ、ソビエト連邦の共和国となった。
この過程で起こった悲劇が、十数万人のシベリアなどへの強制移住だった。
ソ連支配の下、民族の文化は抑圧された。
1980年ソ連からの独立運動が高揚し、ソ連ペレストロイカが始まると、
1989年、三国は、三つの首都をつなぐ620キロの道に150万人の人々が立って「人間の鎖」(バルトの道)をつくった。
独立運動に対し、1991年、ソ連政府は軍事介入に出る。
戦車が突入し、発砲、流血の事態となった。
リトアニアでは、武器を持たない民衆は議会議事堂を囲み、民族の歌を歌いながら攻撃を防いだ。
このできごとは世界の世論を奮い立たせ、ソ連の解体を加速させるものとなった。
1991年9月、三国は独立。
ソビエト連邦は12月25日に終焉を迎えた。
エストニアの首府・タリンの郊外にある「歌の広場」では、5年に1度開催される大合唱が民族独立の原動力となったことから、この非暴力の革命は、「歌の革命」と言われている。 


CDのラトビアの合唱は、ほとんど民謡だった。
どの国の民謡も、民衆の暮らしの中から生まれて歌い継がれてきた。
素朴で単純、率直な感情吐露のなかに祈りがある。
解説によれば、ラトビアの民謡採集と研究は1870年代に始まり、1973年までに、約120万の詩、2万9千ほどのメロディが集められた。
なんという数のすごさだろう。
合唱を聴きながら、歌詞を読んでいった。


ラトビアの民謡>

        太陽が隠れるとき


  太陽が雲の後ろに隠れると
  妹は机の向こうに座った。
  自分の手をぎゅっと握り
  大好きなお母さんに尋ねながら。


  大好きなお母さん、私の幸せを願って。
  一日だけじゃなく 一生の。


  大好きなお父さん、私の幸せを願って。
  一日だけじゃなく 一生の。


  大好きなお姉さんたち、私の幸せを願って。
  一日だけじゃなく 一生の。


  大好きなお兄さんたち、私の幸せを願って。
  一日だけじゃなく 一生の。


  太陽は雲の向こうに隠れ、
  妹は机の向こうに座った。



      歌いながら生まれ 歌いながら育った


   歌いながら生まれ、歌いながら育った。
   歌いながら、一生生きてきた。
   歌いながら、死に出会った。
   天国の庭で。
   山はふるえ、森は音を立てた。
   私が歌うときはいつも。


   人びとは歌を聞いて言った。
   ナイチンゲールが美しく歌っていると。
   ナイチンゲールよ、靴をはいて。
   牛を放牧に連れて行こう。
   あなたはイェヴァの並木で歌い、
   私は牛を見守りながら、歌う。


エストニアの合唱曲は、作詞者、作曲者がいる曲だった。
だから、歌をつくった人の祖国への思いが強く表れている。
勇ましい歌はなく、むしろ悲しみと喜びと誇りとが、静かに歌われている。
それが胸を打つ。
苦難の歴史を生きてきた国柄だから、このような歌を生み、合唱として歌い継がれていくのだ。


エストニアの歌>


        「北の精神」

   森がとどろく、あたり一面で。
   私は開けた場所で立ち止まり、考える。
   ここ、北の空の下では人生はなんと愛しいことか。
   大地の上に広がる、かくも深く青い空に抱かれ、
   もみの木の揺れる頂に、風がざわめく。
   そして森の木陰に、
   なんと明るく輝いているのだろう、幸せの期待が。
   われら北の精神の守り人が、終わりのない歌を歌えば。
   われら北の精神の守り人が、歌を歌えば。



        花冠を抱いて


   花冠を抱いて、幸薄きエストニアを編みこむ。
   空の青さを抱いて、 太陽の輝きを抱いて、
   日没と夜明け、お前をそこに編みこもう。
   魂は、困難なときにこそ、これほど祖国を恋い求める。
   故郷にいても、異国にいても、これほど祖国を恋い求める。
   愛を抱いて、誠実さも、尊敬も、
   そうしてかけかえのない祖国を編みこむ。
   血のつながり、兄弟の心を抱いて、
   こうしてたった一つの幸薄いエストニアを編みこむ。