ワークショップ「蜜蝋ロウソクと 菜種油で灯す行灯(あんどん)づくり」




蜜蝋でロウソクを作る。
行灯(あんどん)をつくり、菜種油で灯火を燃やす。
そんなワークショップがあるというのをチラシで見たとき、
即座に参加してみたいと思った。
師走の土曜日、午後、今秋竣工した穂高交流学習センターに出かけた。
建物に入ったすぐ右にホールがあり、ひとつの催しが行なわれているところだった。
入り口の受付に「上原良司」の文字。
それを見たとたんにかすかな緊張が背から頭に流れた。
学徒出陣で特攻隊員となって沖縄で散っていった上原良司は安曇野出身であり、
遺書は地元の多くの人に読まれている。
「上原良司」を取材した記録DVDが完成したことを記念して、その上映と、「上原良司」を語る会が行なわれていたのだ。
穂高では、1987年に「穂高町戦争体験を語りつぐ会」が、「穂高町十五年戦争  町民がつづる戦争体験集」を出版している。
そこに良司の遺書も、良司の妹の手記も収められている。


遺書の一文。
「権力主義の国家は、一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れることは明白な事実です。
我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見ることができると思います。
ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツもまた既に敗れ、いまや権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。
真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明してゆくと思われます。」


上原良司は、日本敗戦の3ヶ月前の5月に出撃し、アメリカの艦船に突っこんで死んだ。
この戦争に疑問をいだきながら、祖国のために死を受け入れなければならなかった。


「上原良司」の催しにひかれたけれども、予定していたワークショップを優先することにした。
参加者はほとんどが若い夫婦とその子どもたちだった。
この穂高交流学習センターには、ホール、学習室のほかに展示会場や中央図書館もあり、利用者は日に1000人にもなるという。


ワークショップの初めは、菜種油を入れる「ひょうそく」を粘土でつくる。
おにぎりぐらいの量の粘土を小さなお椀型にして、真ん中に灯心を出す突起をつくる。
できあがったものは、陶芸会館の講師が窯でやいて完成させ、22日のキャンドルナイト・コンサートで使われ、それから制作者にもどされる。
油を入れた「ひょうそく」は、灯心に火をつけ、行灯をかぶせる。
「ひょうそく」作りの次は「行灯」づくり、和紙に切り絵をはる。
そして「蜜蝋のロウソク」づくり。
蜜蜂の蜜蝋を板状にしたものを芯の周りに巻いていく。
蜜蝋にはいろいろな色が付けられていた。
蜜蜂の蓄えた花の香りだろうか、お寺にただよう香のようないい匂いがした。
菜種油づくりは、安曇野の休耕田などで菜の花を栽培して、それから油を採って、畑の再生とエコ社会をめざしているNPO法人「nano花隊」の人たちが、
やってみせてくれた。
焙煎した菜種を、車の手押しジャッキをうまく利用して作った搾り機に入れて、力いっぱいジャッキの取っ手を押して作る。
ぼくもやってみたが、かなりの力のいる作業だった。
しぼって出てきた油を、指につけてなめてみると、香ばしくおいしかった。
ワークショップには年配の人の参加はぼくのほかになかった。
充実感のあるいい体験だった。


蜜蝋のロウソクを持ち、図書館でCDと本を借りた。
CDコーナーで、眼に飛び込んできた2枚のCD.
バルト三国エストニアラトビアの合唱団による混成合唱。
不思議にひかれるものを感じたCD。
家に帰って聴いた。
強国に翻弄され抑圧されてきた長い歴史、バルト三国の魂が歌に現れていた。


安曇野が生んだ自由民権家、松沢 求策(まつざわ・きゅうさく 1855年 〜1887年)の展示と、
戦争を批判し、未来を予言したジャーナリスト清沢洌の展示物が眼に入った。
ここにただようもの、
ここで感じるもの、
ここに充ちているもの、
エネルギーのような、気のような、
心を浄化し、
心に働きかけてくる何か。
何か、感じるもの。