未来をつくる子ども、子どもは育っているか<2>



11年前のことになるが、新しい学校づくりに燃えていた滋賀の和美さんが、
鶴見俊輔さんから手紙をもらったよと、うれしそうな声で伝えてきてくれたことがあった。
和美さんのご主人は癌で大きな手術をし、5ヶ月の入院を経て職場に復帰するその日、鶴見さんに手紙を送ったら返事が返ってきたのだ。
和美さんが見せてくれた鶴見さんの手紙に、こんなことが書かれていた。


  「ひとが一人いれば、そのなかでちがう時間が流れている。
  おなじ一人のなかでも、あるときは早く流れる。
  教師が、生徒ひとりひとりの別の時間をみることができるような学校、
  また生徒の成熟してくるはずみに合わせた偶発性が、そこで生きているような学校であってほしい。


  生徒が自分で問題をつくり、その問題を解こうとする。
  自分がおもしろいと思ったことをやるのが学問である。
  クラブ活動なども、したくない生徒がまれにいるならばしなくてもよいのではないか。
  むしろ生活必需品をシェーカーのように自分たちで創り出せるような時間をもてたらいい。

  
  親は自分の子どもを別人として見ること。
  また常に何か楽しい、打ち込めるものを持って、いつも愉快に生きている親であること。
  そのことが子どもの育ちには大切である。
  そして今の学校教育の制度を全体として見返し、新たな学校づくりを模索し、その運動を持続していく親の熱意が必要である。」


鶴見さんは、一人ひとりの子どものなかに流れる時間が違うことをみながらかかわっていくと言った。
一人ひとり育っていく道は常に新しい道であり、
それぞれの新しい自分の道にチャレンジしていくように、子どもを見守り、必要なお世話をし、励ましていく親や教師たちのところに新しい学校は現れる。


12月5日が没後一年になる加藤周一若い人たちへのメッセージとして遺した言葉の一片が心に残っていた。
  「これがいいことだというのが一つあって、
  それにみんなが賛同すべきだという考え方をやめるように努力することが、
  集団としても個人としても大切だと思います。」


昨日、Sさんが嘆いた。
非常勤で教えている高校の、担当クラスの3年生の授業のことだった。

  「全く授業にならないんだよ、
  こっちの話はだれも全く聞こうともしないんだね、
  来年の3月の卒業まで、ただ学校に来ているだけで、
  高校卒の資格をとることだけで、
  授業の最中もケイタイをあやつっていてね、
  注意しても聴く耳なしでよ、
  無気力の極みだよ、
  私ひとりが、誰も聞いていないなかでしゃべっている、
  こっちも無力感でねえ、
  授業するのが苦痛だね、
  もうやめたいね。


そのクラスの生徒は卒業後就職していく。
進路に希望をいだくことができれば、新しい道に向う気力が現れてくるだろうけれど、
希望をもてない。
誇りをもてない。
希望と誇り、モラールの欠如がクラスや学校の集団を覆っている。


集団を相手にしてどうにも指導力を発揮できないのならば、腰をすえて、一人ひとりに向き合い一緒に考えていくことをやるべきではないか、
そうして、学校と教師の壁を突破した新しいかかわりをつくりだすことではないか、
とぼくは思う。


「子どもの危機」という言葉が使われている。
朝日の社説で、簡単にキレル子どもが増えており、その要因について、家庭環境のつらさを子どもが背負っているとあった。


親子の接する時間が少なく、一人親家庭が増え、親の仕事が不安定、
親も地域のなかで孤独になり、
子どもも地域のなかで孤立している。
閉鎖されたところで、親による虐待が増えている。
現代の学校はそのような子どもたちに、時間をかけて接することができない。
ならば、小さく閉ざされた家庭と学校を開いて、子どもたちのコミュニティ、地域のコミュニティを再生する実践をつくらねばならない。
そのために核となる実践がいる。
社説は、たとえば児童館を子どもの「たまり場」にするとか、
主婦が図書館ボランティアに入り子どもに接するとか、
大学生が学校の放課後に子どもたちの補習をみるとか、
と例を挙げていたが、
青森のリンゴ農家、木村さんの農園に春から秋まで高校3年生たちが入って収穫まで木村さんという人にふれ、リンゴにふれ、大地と天空にふれた実践のような、
人の生き方に、つぶさに心身でふれる、
社会に開いた実践こそが必要だと思う。