未来をつくる子ども、子どもは育っているか 





友人の杉原さんは、定年で高校教員を退職してから日本語教師となり、中国の重慶医科大学で2年間学生に日本語を教え、
その後、シニアの海外協力隊に入ってブータンで2年間、学校体育のカリキュラム作りにたずさわった。
杉原さんはこんな話をした。
ブータンはねえ、経済的には世界でも最も貧しい国」に当たるんですが、90%以上の人が『幸せ』と答えるんですよ。」
ぼくは思った。
発展途上国ブータンという呼称から「発展途上国」という言葉を取り去ったほうがいいんではないか、いったい「発展」とは何なのか。
日本の子どもの眼より、発展途上国の子どもの眼のほうが輝いていた、と旅をしてきた人たちがよく述べる。
その輝きとは何だろう。


最近、小中学校内での暴力が増えているという報道があった。
調査に上がった暴力件数が6万件。
なぜ増えているのかについて新聞は、
「子どものコミュニケーション能力が不十分」
「子どもの人間関係が薄い」
「子どもの規範意識が低い」
「子どもの思考がパターン化され、深く考えられなくなっている」
「子どもが気持ちを表現する言葉の幅が狭くなっている。表現できない出来事とぶつかったとき、感情や行動が激化してしまうのではないか。」
などの意見を紹介しているが、
では、どうしてそうなっているのか、は書かれていない。


こども環境学会会長の仙田満氏は、
戦後60年を経た現代日本の状況は、さまざまな意味において劣化が進んでおり、とりわけ子どもが劣化している、
と述べ、次のようなデータを示している。(朝日「私の視点」)
神奈川県藤沢市の調査では、
「もっと勉強したい」と学習意欲に燃えている子どもの割合がこの40年間で65パーセントから40パーセントに減少し、
ユニセフの「子どもの幸福度」調査では、経済協力開発機構加盟の国の中で、
「自分は孤独だ」と感じている割合が、
他の国々ではせいぜい5パーセント内外なのに日本は30パーセントにもなる。


そして仙田氏は、原因をこう分析している。
日本の子どもは、成長困難な状況に置かれている。
家庭や学校だけでなく、都市や地域における成育環境が貧しい。
日本の子どもたちは、この60年間で、自由で豊かなあそび環境を大幅に失った。
子どもの遊び場だった道、空き地、原っぱ、森、寺社の境内から子どもたちは放逐された。
虫捕り、魚釣りなど自然のなかで多様な遊びをする機会はない。
空間だけでなく時間も奪われた。
かつてはテレビ、それからテレビゲーム、パソコン、ケイタイ、などによって。
子どもたちは外で遊ぶおもしろさを体験することなく大人になり、
遊びを知らず、遊びの重要性を知らない親になる。
だから、
自然の遊びを通して身体性、社会性、感性、創造性を身につけ、科学への興味を育むことも少なくなった。


そこで、仙田氏は、提案する。
学校、幼稚園、保育園を自然体験の場として改善すべきである。
利用者が激減している公園に子どもをやさしく見守る大人の常駐者を置き、公園を子どもの野外遊び場にすべきだ。
そうして親のコミュニティ、子どものコミュニティをつくることだ。
公園に子どもの遊ぶ声がこだますると、うるさいと苦情が寄せられるような国に将来はない。


発展してきた現代文明が、日本の子どもたちの育つ環境から、子どもにとっていちばん必要なものを奪い取り、
「教育」が教育を駆逐する。
子どもの村をつくってきた「森のおじじ」が、「後の世代への手紙」を書いている。


「今私が住む『子どもの村』の森は山の中、4キロ四方、人家は一軒もない、電気もなければ便利なものはほとんどない。
子どもとつきあって四半世紀になるが私は教師ではない。

後から生まれてくる世代は先の世代を必ず乗り越えることができる。
その力を秘めてこの世に生まれてくる。
だから先の世代の責任は、後の世代が自分を乗り越え、新しい時代という大海へ乗り出せるように、そしてその大海を乗り切っていけるだけの新しい思想を身につけられるよう、全力で後押しすることだ。
今の日本の子どもたち、若者たちの現状を良しとしているわけではない。
後の世代が先の世代を乗り越えられるといっても、それは後の世代が全力を尽くして先の世代に挑戦してはじめてできることであって、自然にそうなるわけではない。
これからの時代は、人類が経験したことのない全く新しい時代である。
だから時流に流され、常識の枠の中で、挑戦もせず、逸脱もせず、ただただ古い教科書どおりの生き方をしていては、新しい人類史を創造するどころか、今の大人を乗り越えることさえできないだろう。
今の時代は、古い価値観、世界観が、音を立てて崩壊し、それに代わるべき新しい価値観、世界観がまだ確立していない時代である。
地球環境の破壊が劇的に進み、人類の存続さえ危ぶまれている時代だ。
人類は誕生以来、こんな時代に直面した経験をもたない。
『子どもの村』は子どもたち自身の発想から生まれた、言ってみれば『とてつもなく新しいもの』、何が生まれてくるか分からない。
わくわくするほどのものだから大事にしたい。
とはいえ、どんな新しいものも必ず古くなる。
世の中の多くの人たちが、今までの『子どもの村』をほめはじめたら、それは古くなった証拠だ。
壊すべき時が来たのである。」
                        (『森に生きる』徳村彰)