写真集「隣人 38度線の北」<2>

この写真集の写真には、説明が全くついていない。だから写真集を見るものは写真を見て想像するしかない。北朝鮮にとっては、撮られる写真が国にプラスになるかマイナスになるか、どのような目的でどんな意図で発表されるか、と神経質になるだろう。さらにそれにどんな説明がつくか、気にもなるだろう。写真説明には撮影者の主観がどうしてもくっついてくる。そこで、いつ、どこで、だれを、何を、ということも、添付しなかった、ということだろうか。
古い歴史的な建物の玄関に「駅前ホテル」と名前が付けられた一枚の写真に注目した。文字が右から左へ書かれ、駅の字が旧字になっている。ということは、この建物は、たぶん日本の植民地時代のものであろう。その玄関前や道路を男性ばかり10人ほどがたたずんだり歩いたりしている。そこでまた想像する。植民地時代の名残をとどめている建物をそのまま保存しているのはなぜなんだろうと。日本人が使っていたのをそのまま使うにしても、名前はハングルにするはずだが。


この橋は古い。石橋だ。その欄干に子どもたちがまたがったりして遊んでいる。よく見ると、その左端にお母さんらしき人もいる。どうも家族のようだ。橋の下には小さな裸の子がいて、洗面器に洗濯した物が入れられている。地方には、こうした古い橋が今も使われ、昔ながらの暮らしも残っているのだろう。家族みんなで暮らしを作っていった時代の、なつかしくなるような風景がこの国にはまだあるようだ。それは、便利で快適な暮らしを求める現代人からすると「遅れた生活」ということになるのだが。


ダンプカーの荷台に乗って、傘を差している人たちがいる。大人の男女に子どもたち、どこへ何しに行こうとしているのか。「日野ディーゼル」の日本製のバスが止まっていて、カッパを来た子どもがバスの横を歩いている写真もあった。カラオケの店がある。曲目も文字も日本語だった。「石狩挽歌」「上を向いて歩こう」など日本語名の下に朝鮮語が小さく書いてある。


田園地帯を流れる川、牛が草を食んでいる。子どもが魚を釣っている。後ろは水田のようだ。洪水を防ぐために川は護岸工事でコンリートで固められ、安全と引き換えに牧歌的な自然はなくなっていったのが先進国日本。
これからの発展を考えるとき、暮らしをよくすることと、心の安らぐ風景を残すことと、その両者が調和する道を模索してほしいと思う。