ブータン国王と王妃を出迎えた栄誉礼に感じるもの



ブータン国王と王妃を出迎える儀式の栄誉礼になんとなく違和感のようなものを感じた。
日本の着物に似たブータンの民族衣装を着用されているお二人の姿と、栄誉礼を行なう儀仗隊の指揮官の姿と、それはこれまで行なわれてきたお決まりの国家儀礼であるのだが、ブータンのお二人の姿との対比があまりに鮮烈であったからからこれまで感じなかった何かを今回感じた。
儀杖隊員の前に進み出た指揮官は、儀礼刀を右手に「捧げ刀」の敬礼を、日本に到着されたお二人に行なった。儀仗(ぎじょう)は、賓客への敬意を表し、あなたを警衛しますという意味を込めている。国賓のお二人をお迎えするに当たって、国際的な儀礼を尽くす儀式である。
けれども、なんだか次元の違いをぼくは感じたのだった。


日本の首相や皇室が外国を訪問するとき、たぶん和服を着ていくことはないだろう。
ブータンのお二人は、民族衣装のままだった。
その姿は、平和の民の象徴のように思えた。
お迎えする日本人の中に和服姿はたぶんなかったと思う。


儀杖隊のような儀式の型は明治の近代国軍の創設にともなって西洋から取り入れたものであろう。
江戸時代までの日本では、外国の賓客を迎えるとき、日本独自の考え方と形をもっていたと思う。
「捧げ銃(ささげつつ)」「捧げ刀」のような、銃や剣をもって敬礼するスタイルが広く世界共通になってしまっているとしたら、今までこんなことを考えもしなかったことだが、欧米の兵器、軍隊、戦争が世界を席巻し、文明を変えていった歴史の影響のすごさを思う。
明治維新、開国した日本は短期間に西洋文明を取り入れ、近代国家として経済発展と軍事力の強化を国策とした。
軍事力と経済力を背景にした欧米の文明を取り入れた日本の近代化は、欧米スタイルの道だった。そして世界に冠たる国家をつくることを目指した。


この儀杖隊の栄誉礼はそのスタイルの踏襲である。
ブータンは、1974年に開国して、近代国家への道を模索し、そこで次のような国の指針を掲げた。
<発展のバランスを守って伝統文化・自然環境を守り、福祉をたいせつに国民みんなの幸福を第一にする>。
このヒマラヤの小さな国のスタイルは、欧米スタイルの模倣ではない国づくりを目指している。
そうすると、もっと心温まる、平和なお迎え儀式が考えられなかったのだろうか。


国民の幸福と平和を愛する国、ブータン
世界の平和を願う日本。
この二つの国にふさわしいスタイルがあってもいいと思う。


たとえば、雅楽の演奏で、能楽師がお迎えの儀式を行なう。
あるいは、岩手の「鹿踊り(ししおどり)」とか、沖縄の「エイサー」の演奏と踊りで迎える。
そうした日本の民衆の伝統文化をもって、他国の賓客をお迎えする、平和の国の文化をシンボルにする儀式が考えられてもいいと思う。
世界中の多くの国が右に倣えしても、平和国家をめざす日本の独創があってもいい。


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