2009年、新しい年

michimasa19372009-01-01





2009年元日、
新しい年が明けました。
息子と孫とランと一緒に、初日の出を拝す。
山の端から顔をのぞかせた太陽はみるみる全身を現し、
冷え切った大地に無限のエネルギーを降り注ぎ始め、
今日も昨日も太陽は毎日変わらず出で、この世界を照らしてくれる。
今年は、日本にとっても世界にとってもよき年になりますように、祈りを込めて初日の出を拝みました。
息子たち夫婦、孫たち合わせて、家族8人でむかえた新年でした。



戦後すぐに作られた歌に、こんな一首があります。



   従ひしばかりに生きし民として吾らを責めむ後の時代よ

                      近藤芳美


<15年戦争を遂行し、国は滅びた。あなたがたは、時の為政者・軍部の言いなりになり、従ってばかりして生きてきた国民でしたね、
と後の時代の人たちは私たちを責めることだろう。>
と詠った悔恨・自責の歌です。


どうしてあのような国にしてしまったのか、どうして戦争を止められなかったのか、
どうして国民は、「討ちてしやまん」と、戦争に協力したのか、
どうしようもなかったのか、
誤った道を進んでしまった国、「そういう国にしたのは国の支配者だ、私たち国民は国の方針に従わざるを得なかった」ですませていいのか。
しかし、この問いかけは、今にも通じる、普遍性をもつ問いかけです。


よかれと思っていた、結果はそうならなかった、
時代が過去を検証する。
あれはまちがっていた、と。
そのときもっと賢かったならばと後から思う。
個人的なことでも組織の問題でも、社会的なことでも国家レベルでも、人間のなすことはそうなりがちだ。
こんな結果になったのは、バカだったからだ、
もっと真実を見極める眼をもっていたならば、
もっと心やさしく、安らかであったならば、
もっと寛容であったならば、
もっと強い心があったならば、
と後から思う。


その時代に生きる人間は、その時代についてもっと賢明であらねば、と思う。
もっと先を見て生きねばならない、
後の世の人たちにそのつけが回っていくだけに。


今の国のあり方、社会の状況、人間の様子、
それら今立ち現れていることを見て思う。
後の時代の人たちから責められてもしかたのないことを、私たちはやっている、と。
衆愚が愚かな支配者を生み、
愚かな支配者が衆愚を生み出す。
その結果は、後世に被害を引き継ぐ。


戦後、昭和23年(1948)ごろ、次のような歌も詠まれました。(「昭和万葉集」より)
難民のような生活状態の時代でした。


   妻とゆく晦日の夜のもらひ風呂雪の降れれば傘さしかけて
                     藤村省三

 <我が家が風呂をたてれば、近所の人も風呂に入りに来ました。次は近所が風呂を立て、そこに入れてもらいに行きました。それが、もらい風呂です。この作者は、おおみそかに妻と雪の中を風呂をもらいに行ったのです。>


   正月の楽しみまてる子ら見れば得がたき餅もせつなき一つ
                     小森真瑳郎

 <「もういくつ寝るとお正月‥‥」と子どもたちは楽しみにして待っています。子どもたちの楽しみを見れば、なかなか手に入らなかったたった一つの餅も切ない思いです。>


   幸福が三畳の部屋に充ち満ちてあるぞと思ふ児等さやぐとき
                     沢見欣明

 <子どもたちが元気にはしゃいでいる様子を見ると、幸福が三畳の部屋に満ち満ちているように感じられます。子どもたちは、生活の困難な中でも、きょうだい元気に生きています。>