あいさつ




「北海道紋別郡滝上町の森に生きる「おじじ」の話を先日書いたが、
今日、「しょうちゃん」という人からコメントをいただきました。
岩手の花巻へ「おじじ」を招いてお話会をする計画があるらしく、ぼくの文章を使いたいということでした。
拙文ですが、使っていただけるのは、ありがたいことです。
わざわざ丁重にごあいさついただき、かえって恐縮です。
それにしても、こうして遠くからでも、知らない方からも、検索して読んでくださる人がいる、
これも「おじじ」という存在によるつながりです。
つながりは、日本中にあり、さらに森にあり、宇宙にある。
すなわち「マンダラ」でしょうか。


コメントには、知人、友人、教え子など、それを書いてくれた人が分かっている場合と、
全く未知の人のコメントとがあります。
ブログを始めたときは、それに返事を書くことをしなかったときがありました。
私的なブログですが、コメント欄で私的な会話になることに抵抗があったからです。
今思うと、このブログを発見して訪れてきてくれたにもかかわらず、返事をしなかった人に申し訳ない思いで一杯です。
もう一度コメントがあれば、思うままに返答しようと思っています。


     ▽     ▽     ▽


今朝、自転車でゴミ出しに行った。
今日は、今年最後の空きビン出しの日。
地域の家庭ゴミ・資源物を出す集積場所には、その日の地域当番が午前7時から8時までゴミ受け入れをしている。
自転車で行くと、向こうから近所のOさんが、空きビンを出して帰ってきた。
「おはようございます」
すれちがいざま声をかけると、Oさんは会釈もなくあいさつの声もない。
すたすた通りすぎていった。
今日はOさん、あいさつする気にならないのだな、そういう心境だな、と思う。
あいさつしたのかもしれないが、つぶやくような声だったんだろうか。
人には明るく対する人だが、ときどき心境が行動に現れていると思えることがある。
今日は、こちらに対する否定的な思いがあるな、たぶんあのこと、と思い当たることを想像する。
以前もそういうことがあって、こちらが不愉快になり、あいさつする気がなくなりそうだった。
しかし、最近考え直した。
相手がどうであれ、だれであれ、あいさつは大きく陽気に行こうと、思っている。
声をかけられた人にとっては、快活な声のほうが気持ちがいいではないか。
相手があいさつしなかったら、こちらもしない、
そうなっていったら完全な断絶になる。
信州にやって来て気づいたのは、知らない人でも道で会うとあいさつする人が多いということだった。
もともとの土地の人には、連帯感がある。
そこへ都会などから流入してきた人が増えている。
Oさんもぼくも他県から来た者だ。
それぞれ異なるものを持ち込んでいることだろう。
こうしなければならない、こうすべきだ、というのも異なるし、この地も変化する。
こうすべきだ、を固く持っていると、人を拘束し、自分も縛ってしまう。
あいさつ程度なら、どうってことはないが、案外簡単なことが火種になるかもしれない。