対立を生む感情、それを溶かすもの



感情の動物、人間。
人間と人間の間にはいろんな感情が生起する。
こちらが親しい感情をもっていた人であったにもかかわらず、その人の言った言葉で反感が生まれ、
嫌いになることがある。
多くの人が感動する熱唱、それでも感動しない人もいる。
あることに腹を立てる人もいれば、全く腹の立たない人もいる。
「喜怒哀楽」は人さまざま。


同僚の中にいつも陽気に振舞う人がいた。
「わたしの心は、波のようですよ。あるときは、こう、あるときは、こう。」
と言って、手を大きく上下に動かして、波を描いた。
躁とうつが極端で、それに翻弄されるのだと言う。
ときどき何も言わないで、ひたすら下を向いて書いているときは、感情がダウンしているときなのかと思う。


親身になって世話してくれた人がいた。
先輩のような、同志のような存在だった。
ところが、こちらの言葉やふるまい、思いやりや考えの足りなさからだろう、
その人は「絶交」という態度に変わり、
それ以後断絶状態になったままでいる。
こちらの何かが、相手の心に負の感情を引き起こした。


人はいろんなモノサシを頭の中にもっていて、
それに引っかかると、対象を批判的にとらえ、とがめたり、嫌悪したり、無視したり、腹を立てたりする。
その逆に、嫌なやつだと思っていた人の、ある行動を見て、親近感を覚え、尊敬の念さえ生じることもある。
感情を引き起こす「モノサシ」は、人によって異なる。


昔、ある講習会に参加したことがあった。
そこでは、参加者みんなで、人が人と仲よくなれない原因となる感情と観念を探った。
まず最初に「怒り」がテーマになった。
参加者一人ひとり、腹を立てた実例を出し、そこからどうしてそのことで腹が立ったのか、と探っていった。
ぼくは、自分の職場の生活指導主事の教師に対する怒りを例に出して考えた。
ぼくの目から見れば、その教師は、反抗し暴走する生徒を、管理的、権力的に抑えてしまう指導を行なっていた。
僕はそのやり方に反感をもっていた。
怒りすらいだいていた。
「なぜ、そのやり方に腹が立つのか。」
それをとことん考え抜く。
みんなはそれぞれ自分の例で考えた。
20時間以上は考えただろうか。
ぼくの結論は、
同じ職場にいても、そのことで腹が立つ人と腹の立たない人がいるということは、
腹が立つのは、絶対的なものではないということだ。
参加者からも、「夫がこうだから腹が立つ」「しゅうとめが、こうするから腹が立つ」
と、怒りの原因となるものを出すけれども、それは必然的な因果関係ではない。
腹を立てている自分のなかにモノサシがあるのだ。
別の例で考えてみても、同じ現象に対してあるときは腹が立ち、あるときは腹が立たないこともある。
いつのまにか自分の中に生まれていたモノサシ、それが自分を動かしている。
誰も答えを出さない。
自分で気づくだけだった。


さすれば、自分の感情とはなんだろう。
「嫌い」という感情、「差別」の感情も考え、さらに自分の中の固定観念についても考えた。
自分の中からわいてくるもの、自分のなかに根を下ろしているもの、
それを見つめることで、自分をコントロールする、こだわらない、しばらない、
その自由度のなかから、寛容が生まれ、人への親愛の情が湧き起こってくる、
そういう体験であった。


感情の中に、肯定的に見る感情と、否定的に見る感情がある。
「好き‥‥きらい」、「尊敬‥‥軽蔑」、「満足‥‥不満」、「信頼‥‥不信」、「優越感‥‥劣等感」、
まだまだある。
人が誰かに否定的感情をいだくと、いだかれた方は相手の言動からそれを感じ取ることが多い。
相互関係になっている。
否定的感情から暴力的な行動や、差別的な行動を引き起こした場合、
その行動を受けた被害者は、
「嫌悪感」、「うらみ」、
「憎しみ」、「憂鬱」、
「怒り」、「敵対心」、
「恐怖心」、「絶望感」、
「孤独感」、「寂寥感」、
などの強烈な否定的感情に襲われ、
体験を伴う感情は両者の関係の根底に深く横たわる。
そうなると、人間関係だけでなく、当事者の生活や精神まで破壊される。



否定的感情が民族間や国家間の対立のなかに存在し、ナショナリズムに引火すると、戦争となって爆発する。
「9.11テロ」に対して、アメリカ国民とブッシュ大統領は、否定的感情に触発され、報復の感情を軍に託して戦争という手段に訴えた。
攻撃された方はされた方で、否定的感情に突き動かされて、さらにテロリズムの報復に燃える。
止むことのない連鎖である。
世界のあちこちで心に傷と刃がうまれ、
対立、戦争がつづいている。
パレスチナイスラエルは、泥沼に入って解決の見通しもない。
アフガン、イラクに、いつ春が来るか。


NHKのドキュメンタリー番組で、セルビアコソボの間に横たわる民族間の否定的感情を溶かそうと、行動を起こした日本人がいたことを知った。
柳澤寿男 37歳、オーケストラの指揮者。
彼はコソボフィルハーモニーの常任指揮者となった。
セルビア人によって支配されていたコソボアルバニア人が大多数をしめる。
セルビア共和国からの独立をめぐる武力衝突が起き、内戦になった。
肉親を殺されたコソボの人たちの心に、怨恨の情が根を下ろした。
柳沢さんは国連統治下にあった当時のコソボ自治州で2007年3月、現地交響楽団のコンサートの指揮をした。
開演前、親族2人を失ったという団員が「敵が攻めてきたら楽器ではなく銃を取る」と話しかけてきた。
柳澤はショックだった。
ところが演奏が終わると、彼は「音楽の力はすばらしい。音楽には国境はない」と言った。
その言葉は柳澤の心に強く焼き付いた。
彼は「音楽」によって、根深くコソボに残る民族問題に架け橋をかける活動を始めた。
セルビアに飛び、セルビアの音楽家に会う。
ユーゴスラビアの紛争で激しく対立し、殺しあってきた人々が、、民族の壁を越えて一つの音楽をつくる、
こうして「バルカン室内管弦楽団」が生まれた。
集まったのは、異なる民族の兵士から家を追われたり、難民として水もトイレもない国境をさまよったりした経験を持つメンバーだった。
マケドニアアルバニアセルビアと次第に異なる民族の楽団員が増えた。
アルバニア系、セルビア系の住民が川を境に分かれて住み、民族対立の象徴とされるコソボ北部の都市ミトロビツァで演奏会を行なう。
初めはあいさつもせず、言葉も交わさないコソボの団員は、セルビアの団員の父が軍人であったと知って、心が閉じていた。
肉親を殺された心の傷が、身体まで凍らせた。
が、練習が進み、まちまちの演奏が一つになり、調和が生まれるにつれ、
団員の表情が変わっていった。
会話が生じ、いたわりが生まれた。
やがて互いにメールアドレスを交換するまでになった。
「戦争をしてきた国々の民族が演奏する姿、そこに生まれる信頼関係を見てほしい」。
指揮者、柳澤さんは、日本公演を企画する。
そして来日公演が成功した。
心に傷を持つコソボの楽団員の顔に笑顔がよみがえっていた。

「みんな心のどこかで一緒に演奏したいと思っていた。
日本人というわたしのニュートラルな立場がきっかけになった」
と柳沢寿男さん。

 
否定的感情と負の連鎖を解消するには、どうしたらいいか。
否定的感情を肯定的感情に変化させるには、どうしたらいいか。
虚無感、絶望感、不信感、無力感、孤独感、寂寥感、怒り、悲哀、
我が身を滅ぼす人もいる。
社会の中の、人と人の交わりが希薄になった。
感情を吐き出し、溜め込まず、
自分の感情を見つめる場が必要になっている。
人と人が交わるとき、会話するとき、
自分の感情を見つめる練習をすることが必要だと思う。


民族や国家の関係、
おのれの「正義」を振りかざし、気に入らないものを攻撃し、
怒りをあおるものがいる。
恨みを扇動するものがいる。
両者の関係は凍結する。
その一方で、
架け橋をつくる人がいる。
架け橋をつくろうとする人の志が、負の感情の凍結を溶解する。
感情は伝播し、感情には相互作用がある。
暖かい心は暖かい心を、冷たい心は冷たい心を、
寛容の心は寛容の心を、引き出す。


この社会、この世界、人は何か役に立ちたいと願っている。
人の根底には、自分を活かしたい、役立てたいと願う心がある。