人間の破壊的感情



怒りや欲望やねたみなどの否定的感情を増大させる思考が、精神を侵略すると、
破壊的、暴力的な域に達してしまう。
そうなった事件が、現代社会で後を絶たない。
そうならないように事前に食い止めることができないか、、
9人の科学者と一人のチベット僧、タイの僧侶、そしてダライ・ラマの12人による徹底究明の議論の記録、
「なぜ人間は破壊的感情を持つのか」(ダニエル・ゴールマン ダライ・ラマ <アーティストハウス出版>)
の第九章は、「わたしたちは変われるか」。


心理学者のポールが質問した。
「もしカリフォルニア知事が、
訓練期間40時間で、刑務官全員をもっと人間的で思いやり深い人間に鍛えていただけますか、
と言われたら、どう答えますか。」


チベット僧になったフランス人、マチウが、
刑務所で瞑想を教えた人の話を出した。
「仏教の瞑想ではなく、リラクゼーションの瞑想を無期懲役囚に教えました。
彼らは、刑務所内でも殺しあうような連中でした。
そのなかにギャングのボスがいました。
訓練を始めてしばらくたったころ、そのボスが言いました。
壁が突然崩れ落ちたような感じがした、と。
それまでは、何をやるにもすべてが憎しみのうえに成り立っていたことに気づいたのです。
他人との関係が、憎悪し支配することばかりだったのが、
ふいに消滅したのです。」
人間は、変われるという話だった。
ギャングのボスは、新しい感じ方に出会い、
それと折り合いをつけるために最大限の努力をし、
訓練仲間の数人ともその感覚を分かち合おうとした。


心理学者のマークがポールに言う。


「刑務所に限らず、
たとえば学校の先生を対象に、愛情訓練または瞑想訓練をして、
もっと学生を思いやる人材の育成に役立てられないでしょうか。
そういうことに抵抗を感じるような人たちにでも受け入れられるような、
宗教色のない方法はないものでしょうか。
生徒に対する思いやりに欠ける先生が多いような気がしてならないので。」


ダライ・ラマが発言する。


「愛情とあわれみの育成は、
宗教に固有のものではありません。
信仰があつくなくても、
宗教の教義を受け入れなくても、実践できます。
宗教色のない世俗的な方法を開発することが大事だと思います。
今の教育制度では、子どもが得るのはただの情報だけ。
子どもたちは読み方を学び、やがて仕事に就くために、たくさんの情報を得ているだけです。
心を発達させるための教育や研究はなされているのでしょうか。
『道徳的倫理』だの、『世俗の倫理』ではなくて、
たとえば、『平和な社会』とか、『社会の繁栄』といった、
宗教色のついていないもの、
それは社会科学と相性がいいのかもしれません。
わたしたちの目的は、科学の研究を社会の安寧に生かすことです。
個人も社会も平和で調和がとれていて、
健康であるという意識を持てるようにすることです。
平和な傘の下でこそ、子どもたちをいかに教育すべきかという議論ができるのです。
それは、算数を学んだりするだけでなく、
破壊的感情に対抗し、健全で好ましい感情をはぐくむことができる教育です。」


そうして第11章、
「感情学習カリキュラム」
の議論が展開される。


心理学者、マーク・グリンバーグが言う。
「いかに心を教育するか。
わたしたちの目標は、感情面での健全な免疫システムを支えることです。
そうすれば、破壊的感情が生じた場合、
すぐさま知性、つまり教育を受けた心を働かせて、その場で効果的に対処できるようになります。」
話は、幼年期の母子関係についてくりひろげられる。


親が子どもの否定的感情(怒りや悲しみ)に気づき、それに対処できるように手助けをすると、
子どもは自然と自分の感情に対する生理的な決まりごと作り出して、
より肯定的な行動をとる。
親が無視したり、お仕置きをしたり、怒ったりすると、感情が共有されないと気付いた子どもは自分の殻に閉じこもってしまう。
ストレス過多の子どもは、信頼関係が築けず、自分の感情を上手に扱えなくなる。


話は就学期に入っていった。