茨木のり子 『はじめての町』



        はじめての町


   はじめての町に入ってゆくとき
   わたしの心はかすかにときめく
   そば屋があって
   寿司屋があって
   デニムのズボンがぶらさがり
   砂ぼこりがあって
   自転車がのりすてられてあって
   変わりばえしない町
   それでもわたしは十分ときめく


   見なれぬ山が迫っていて
   見なれぬ川が流れていて
   いくつかの伝説が眠っている
   わたしはすぐに見つけてしまう
   その町のほくろを
   その町の秘密を
   その町の悲鳴を

   
   はじめての町に入ってゆくとき
   わたしはポケットに手を入れて
   風来坊のように歩く
   たとえ用事でやってきてもさ


   お天気の日なら
   町の空には
   きれいないろの淡い風船が漂う
   その町の人たちは気づかないけれど
   はじめてやってきたわたしにはよく見える
   なぜって あれは
   その町に生まれ その町に育ち けれど
   遠くで死ななければならなかった者たちの
   魂なのだ
   そそくさと流れていったのは
   遠くに嫁いだ女のひとりが
   ふるさとをなつかしむあまり
   遊びにやってきたのだ
   魂だけで うかうかと


   そうしてわたしは好きになる
   日本のささやかな町たちを
   水のきれいな町 ちゃちな町
   とろろ汁のおいしい町 がんこな町
   雪深い町 菜の花にかこまれた町
   目をつりあげた町 海のみえる町
   男どものいばる町 女たちのはりきる町



     ▼   ▼   ▼


NHKの番組に「鶴瓶の家族に乾杯」というのがあります。
落語家の笑福亭鶴瓶のふらふら訪れる様子がおもしろいです。
村や町の人たちは、いきなり訪れた鶴瓶を驚き迎える、そこに現れる愉快さ。
有名人であるし、NHKの番組であることが分かっているから歓迎される、
でもそこにはそこの、いろんな出会いがあり、発見があります。
あてもなく歩く、だから出会う。
それが知らない町を訪れるおもしろさです。


日本の町は、どこもかしこも同じような、個性のないものになってしまった感じがありますが、
好奇心があり、感受性があり、魂を研ぎ澄ませれば、
そこにひそんでいるおびただしい何かを見つけ出し、感じ取ることができます。
歩いてみなさい。
歩かなければ、何もわからない。
車ではだめです。


ぼくは墓地があれば、墓地に行ってみます。
そうすると胸にきゅっとくるものがあります。
昔、ここに生きた人たち、どんな暮らしをしただろうか、
それをしのぶことができます。
戦場に散っていった兵士の墓、
墓石の裏に、戦死した日と場所が彫られています。
ふるさとに帰ってくることのできなかった人たちです。
風雪に耐えてきた家にも、迫ってくるものがあります。
古ければ古いほど、気を発している。
田畑も、森や林も、川も、
語りかけてきます。



作者は、心のアンテナを働かせて、町を歩き、魂の声を感じ取り、聞いています。