景観と環境


 万水川



安曇野の三郷地区、リンゴの農場が広がる山麓地域に、民間の産業廃棄物処理場が突然建設された。
6年になるだろうか。
驚いた住民が反対運動を起こしてから、
市から県へと問題は広がり、反対する住民と業者との争いは裁判沙汰になっている。
手続きに問題はないとする業者に対して、問題ありとする住民側が行政に働きかけ、
市議会は住民の立場に立つ決議をしたが、前市長が反対決議をひるがえすという事態が起こって、
問題は険悪になっている。
施設は一部すでに稼働して、近隣の農家に被害も出ているということを聞いた。
あの大王わさび田のそばを流れる万水川の源、途中伏流水になってやがて万水川に噴き出る黒沢川の上流近くに、その施設はある。
「景観と環境」を重視する市行政のようだが、腰の引けた後手後手行政では、環境の悪化を防ぐことができない。
健全な環境があってこそ美しい景観も生まれてくる。
成行きに任せるような行政では、たぶん安曇野の景観はこれからどんどんなし崩しに、無個性な、どこにでもある景観になっていくだろう。
山はあり、森はあっても、田園地帯は調和の美を欠いた「うるわしの安曇野」はどうなるだろうか。



「天上から吊下ろされた楽園」と呼ばれるヨーロッパのチロルを研究してきた環境学者の松田松二が書いている。
長野県ほどの広さのあるチロルには、標高3000メートルを超える高峰が90もあり、
その多くが万年雪や氷河でおおわれている。
ここに遊牧民が住み着いたのは紀元前数千年前のことだった。



 「谷全体の約80パーセントは岩や氷で覆われているため、
生産性は低く、また過酷な環境条件下ではいったん壊した自然の復元はきわめて困難であることを、彼らは誰よりもよく知っていた。
そんななかで定住しようと考えた時から、
周囲の生態系と仲良く付き合っていかなければならないと運命づけられたのである。
彼らは必要最少限の木しか伐らなかった。
数軒の建物を中心に、ほぼ円形に大木が伐採されて、そこだけが明るい陽光を浴び、
草が生い茂った。
住むべき家はもちろん伐採された丸太を利用して作った。
 彼らはここに定住を果たしたが、前人未到の経験でもあって、生活条件はきわめて厳しいものだった。
冬期の羊の餌を得るために彼らは採草地を開発しなければならなかったが、谷斜面での労働条件も厳しかった。
 谷底に住み着いた彼らは厳しい生活条件と労働条件の下で、周囲の生態系と共存を図らなければならず、
働けども働けども極貧の生活を強いられた。
 しかし、彼らは貧しいこの世の水平軸に対し、天に通づる揺るがぬ縦軸を持っていた。
一途な神への信仰がそれである。
 この村の人たちは、美しい花で窓辺を飾り、楽しい音楽にストレスの解放を求めた。
そんな家のたたずまいは、今も旅人の心を慰めてくれるし、
チロルの音楽は世界の人々に愛されている。
 貧しいながらも平和に暮らしている間に、谷の人口はゆるやかながら、増加していった。
厳しい生活条件、乏しい生産性という条件下での人口増加だから、
微妙な生態系とのバランスの綱渡りをしなければならなかった。
村を拡大するために、さらに外側に向かって森林を伐り倒すのがいちばん手っ取り早い解決策だったが、
彼らは無原則な拡大策を取らなかった。
これ以上大きなインパクトを自然に与えてはならないと考えたからだった。
微妙な生態系のバランスの中へ入り込んできた新参者は、つつましく自然に抱かれて暮らす以外に道のないことを知っていた。」


そんなチロルにも近代化の波が押し寄せ、外部から人が大量に入りだし、山と雪のスポーツや観光のうねりがチロルを変えていった。
開発と建設が進行した。


「あどけない孫や子どもたちの顔を見るにつけ、
昔と変わらない教会の鐘の音を聞くにつけ、
『自分たちの父祖が結婚を禁止してまで守り抜いてきたこの自然を、
はたして次の世代に残してやることができるだろうか。
確かに先輩たちから受け継いだ土地には違いないが、
考えようによっては、かわいい孫たちから借りている土地のような気もする。
だから、利子を付けて返すぐらいの配慮が必要ではなかろうか』
とする意見が村の中で次第に高まっていった。
そして、とうとう彼らは自然の保護やその復元のために立ち上がったのである。」



『自分たちの父祖が結婚を禁止してまで守り抜いてきた』とあるのは、
1831年、チロルの人口が増加することで土地開発が進み、生態系が破壊されていくことを憂慮した住民たちが、
結婚を禁止した(20年間で終わり)という歴史をさしている。
現在チロルでは、科学者も加わって、住民の主体による、人間の生活と自然環境の保全が調和していく方向性を模索しながら施策を進めている。
そこでの自治体の果たす役割は大きい。


子どもたちのために、安曇野の自然と田園を守りたい、
民主主義の根幹が揺らいでいる事態だから、
と我が家にも反対運動の3人の若い彼らがやってきた。

夢を描き、希望をもって動く彼らだ。
「反対運動」の「反対」に込める意味合いは、
むしろ「理想」という意味合いなのだ。