北本哲三『たたかい』




            たたかい


   希望を失うことは死ぬことに等しい
   このような場合
   悲しんでばかりいたらどうなるだろう
   惨禍を未然に防ぐためには
   計画をしっかとたてねばならない


   七月
   太陽の恵みが照りそそぐべき月
   その光を満身に浴びて作物の生長する月
   朝、起き抜けに田んぼにたてば
   朝露うけて、きらら、きらら
   そこいら一面宝石でもぶちまけたように
   光り輝いている青海原に
   ああ 育ったな 育ったなと
   喜びにはずむ百姓たちの声ごえが
   そここに聞こえ来るなずの七月
   はじけるような陽光を背中に浴びて
   うだるようにいきれる稲の中をはいまわり
   除草する労苦と、そしてあの喜び
   ああ あれは真夏の七月の空に昇天する夢であろうか
   七月よ
   ああ七月の太陽よ  
   雨が降って  降って降って降りつづけ
   来る日も来る日も空を仰いで嘆息する
   今年七月のこの大空の冷たさはどうしたことか
   冷雨に明け冷雨に暮れる真夏の土用よ
   百姓たちに持って来る
   百姓たちにもたらす
   バサバサと青立ちの稲田
   白ちゃけて枯死するイモチの稲穂
   しいなと くされわらばかりの田んぼ
   ああ 寒々と稔らぬ風景
   昭和九年の大凶作 あの生々しき思い出よ
   さすような北風の吹きまくる中で
   もの言わぬ人びとはただ一心に蕨(わらび)を掘った
   真っ黒いてのひらの泥が あかぎれの血汐に赤黒く染まり
   跳ね上がるだけ痛かったあの日あの時のおそろしさ


   ああ 今日も雨 昨日も雨 一昨日も雨
   その前の日も その前の日も
   そして 明日も明後日も その次の日も その次の日も
   おそらく晴れそうもないこの冷え冷えとした雨空よ
   新聞は大々的に三十年来の雨続きだと報道し
   測候所では ただ困った 困ったとくり返す
   ああ このような悲しみの嘆息が
   日本農村の空にみなぎって
   いったいどのようなことになるのであろう


   冷雨に明け 冷雨に暮れる七月よ
   されど絶望することは死ぬことなのだ
   地温を保持し いもちを防ぎ 生育を促進させる
   ああ それは 私たち百姓にとって
   困難きわまるたたかいの道
   されど 私たちは行く
   今こそ 今こそ
   今年七月のこの暴虐なる雨空に  
   ああ光栄なるたたかいを宣す


   今夜農会の先生に来てもらい
   みなを集め ひざつきあわして相談するのだ
   悲しんでばかりいたらどうなるだろう
   計画はしっかとたてねばならない



北本哲三は秋田の農民詩人だった。
昭和九年、東北地方を中心に、大冷害、大凶作、大飢饉が起こった。
日が照らず、稲は育たず、いもち病が発生した。
この詩は、そのときのことを詠っている。
2009年の今夏、梅雨から後も雨が続き、日照が減り、いもち病発生の恐れがあった。
1934年(昭和9年)とよく似た天候だった。
しかし幸い、その後の天候回復、凶作は免れた。
作柄も持ち直した。
今、安曇野もあっちこっちで稲刈りのコンバインが動いている。

 「希望を失うことは死ぬことに等しい。
 悲しんでばかりいるな。
 惨禍を未然に防ぐために
 計画をしっかとたてよ。
 仲間と共に困難を乗り越えるのだ。」

農民のたたかいの叫びである。


日本には、労働を詠った作品がたくさんある。
明治・大正・昭和にかけて、農村の生活を詠んだ詩や短歌、小説などが豊に存在する。
ぼくは学生のころ、万葉集を読んでいて、そのなかに労働を歌ったものがたくさんあることを発見した。
そのすべてを調べてみようと、図書館にこもったことがあった。
そのときの研究資料は日の目を見ることなく、喪失してしまった。
近代になってからの農民文学は、近代思想に触発され、農民の文化として芽吹いた。
農民自身の作者によるものと、作家が農を描くのとがあるが、
それらは、『土とふるさとの文学全集』(家の光協会)などに収められている。