言葉の魂が抜けていく

        「国家戦略局」という言葉


 ラン


民主党が新設する予定の「国家戦略局」という名称について意見が載っていた。
朝日の声欄、
91年の湾岸戦争のころ、その声の主は広告業界にいて、
広告戦略、販売戦略、マーケティング戦略など何にでも「戦略」を付けることに疑問を感じていた。
「人間同士の殺し合いが行なわれていた湾岸戦争を切実な悲しみとしてとらえ、
どのようにしたら私なりに平和の貴さを意思表示できるかをその時に考えてみたのです。
そして、仕事の場では、『戦略』を『ビジョン』とか、『構想』などに置き換えることで戦争用語を排除するように努めました。
戦略研究所を平和研究所に改名した例もあります。
民主党も『戦略』はやめて
『国家デザイン局』
『未来構想局』
など、明るい将来や夢をイメージさせる名にしたらいかがでしょうか。」


なるほど、と思った。
いい意見だ。
国家戦略局』と『国家デザイン局』、
比べてみたら、後者のほうがはるかに政策ビジョンが明るく豊かで、暖かくなる。
「戦略」という勇ましい言葉を聞くと、それを使いたい思考の中身を感じる。
「選挙戦略」「活動戦略」など「戦略」は、対抗する相手、敵との戦いに勝つことを目的にしている。
政策を調整し、予算編成の骨格を固め、
問題を解決し前進させる、
ならば、名前の付け方を考えるべきだ。


名前の付け方、言葉の使い方、
そこにそれを使う人や組織の意思、感情が表れる。


同じ日の別紙面に、
後期高齢者」という名称について、
「人間味のかけらもない残酷な言葉を流布させた役人は、
この人の舞台を一度見るべきだろう。」
と書いている。
平幹二朗の舞台のことで、
「75歳。
20年前に肺がんの死地を克服し、
驚異的な若々しさで演じ続ける彼を見れば、
こう感じるはず。
健康であれ病身であれ、
人は年齢で輪切りにできるような存在ではない。」と。



「立ち止まると老いが襲いかかってくるから、
休まず芝居に出続けていたい。」


と言いながら、寺山修司の「中国の不思議な役人」をこの秋、平幹二朗は演じる。


この記事のタイトル見出しは、左上に、イングリッシュで「entertainment」とあるが、
右上には、「エンタ」とある。
「エンタ」とはなんでっか。
またまた略語。
英語なら省略しないが、
日本語化したらエンタとなる。


名前の付け方、言葉の使い方、
気になる。
「コンカツ」、
何や、それ。「トンカツ」みたいなもんか。
いや、そうじゃござせん、「結婚活動です。」


「デジカメ」と初めて聞いたとき、
この語感、気持ちが悪かった。
デジタルカメラ」とはっきり言え!
「チデジ」、
気色悪い、
地上デジタル」というのはしんどいんか!

めったやたらと、4音、3音にしたがる。
言霊の国の言葉、暗号みたいになって、魂がどこかへ抜けていくみたいだ。