映画『ベルサイユの子』

  

研成ホールに置いてあった映画のチラシ。
ザックを背負った一人の男が、男の子の手を引いて歩いている。

「寒くても、
お腹がへっても、
手を握っていてくれたら、
ぼくは泣かない。」

二人の背後にベルサイユ宮殿が見える。
そのうえに、この言葉が載っている。
「観光客でにぎわう世界遺産、ベルサイユ宮殿、17世紀フランスの繁栄の証である宮殿のはずれに多くのホームレスが住んでいるのを、あなたは知っていますか。
物語は、社会からドロップアウトしてベルサイユの森のはずれでひっそり生きてきた男が、
若い母に置き去りされにされた、見知らぬ5歳の子どもの世話をする羽目になるところから始まります。」
チラシの裏にある。


この映画、観てみたい。
NPO法人松本CINEMAセレクト上映会の自主映画だ。
上映は、8月29日の土曜日。
時間は9時。
問い合わせて前売り券を買ってきた。
帰ってちらちら前売り券を見てみたら、時間は21時となっている。
えーっ、夜の9時なのか。
ありゃー、午前9時ではなく午後9時なのかあ。
松本の映画館まで出かけて、見終わったら11時だ。
よくチラシを見ていなかった。
映画館の空いた時間帯を借りて行なうからこうなるのだろうか。
しかたがない、遅くなるけれど観に行こう。


夜の松本市内の映画館周辺の盛り場はひっそりとしていた。
客は50人ほどだった。


ビルの裏側の工事現場に、ホームレスになった母子は寝床をつくった。
仕事がない。
仕事を求めて、役所へ行くが、救済の手をさしのべられなかった。
政府が作った仕組みから、母子ははじきだされた。
そしてベルサイユの森に行く。


ベルサイユ宮殿の敷地内に森がある。
つたがからまり、枝が行く手をさえぎる、原始林のような趣の森である。


森の中に、火を焚いている男がいた。
男は、社会を拒絶して一人生きていた。
彼は、そこに小屋を作って住んでいた。
社会で生きていくためには、社会の仕組みを受け入れて、それに合わせていかねばならない。
しかし、それは言い換えれば、すべての仕組みにがんじがらめに縛られることでもある。
男はそれらに反発し、それらを拒否して、自由に生きたかった。
しかし拒否すれば、社会からはじきだされる。
そして彼は森に住んだ。
ベルサイユ宮殿という社会の富と権力が輝くところの片隅、
自然の森が、孤独な男を包み込んでいた。


一晩そこで過した若い母は、子どもをいずれは迎えに来ることを心に秘めて、
朝早く、男の子を残して去っていた。
この子の将来のために、社会の中で自立するための行動だった。


男ダミアンは、残された子どもと暮らすことになる。
戸惑いいらつき、あるときは邪険に扱いながらも、
次第に心がやさしくなっていく。
森にはホームレスの仲間がいた。
彼らは、何も持たず、何ものにもしばられないが、
生きていくための手段に苦労した。
白人もいれば、アフリカンもいた。
ネイティブアメリカンナバホ族の夫婦もいた。
彼らは社会への反抗心が刃のような言葉となることもあったが、
男の子にやさしかった。
街の店から捨てられる売れ残りの食品を、男の子はダミアンと一緒に取りに行った。
男の子の世話をするようになってから、
男ダミアンは変化していく。
愛情が芽生えはじめる。


ホームレスを追い出そうと、恫喝が来る。
小屋を焼くぞ。
彼らの間に通い合う心が、人間社会の冷たい烈風を防ごうとした。
しかし、ナバホの男は死んだ。
ホームレスの仲間たちは心から死を悼み、自分たちで彼を弔った。
夏が来、秋が訪れ、木の葉が落ちて冬になった。
森に雪が舞う。
ダミアンが倒れ、病気になった。
「だれかを呼んできてくれ。」
ダミアンの声に、男の子は、ひとりベルサイユ宮殿の長い石段を駆け上り、助けを呼びに走った。


男の子の若い母親が自立に成功し、男の子を迎えに来たとき、
彼らの小屋は焼かれ、誰もいなかった。


社会を拒否していたけれども、
男の子の将来を考え、社会へ戻っていく道を歩みだすダミアン。
彼は男の子を連れて、自分を切り捨てていた実家に子どもを預ける。
それは妥協でもあったが、
男の子エンゾの父親になっていく道でもあった。
学校へ入れてやりたい。
友だちをつくってやりたい。
ダミアンは、建設現場で働きだす。


社会的な認知を受けていないエンゾ、
森のホームレスである間は、周りの仲間たちから守られ、
それなりの自由な世界ではあった。
ダミアンの実家で暮らすよりも、エンゾは森へ帰りたいと思う。
だが、ダミアンはもうそれはできない。
人間社会で生きていくためには、社会の規範、約束事、法律を受け入れ、
制度、システムのなかで生きるために必要なたくさんのものの確保なくしては成り立たない。
その手段が奪われている人たちに対して社会が差し出す救済の手があるならば、それをうけたい。
エンゾの未来を奪うことはできない。


映画は、
自立への道を歩き出したダミアンの「放す愛」と、
再び帰ってきた「母の愛」という結末にむかっていった。
人は幸せのために生きる。
幸せはどんな生き方のなかにある?
自然で自由な、しかし欠乏する森の生活から、豊かだが矛盾の錯綜する人間社会へ、
ダミアンの向ったのはエンゾのためであった。