皆既日食を見なかった男の話





「自分は落ちこぼれだ。もう帰るところはない。
自分のルーツを失い、家も失い、道に迷った。
なんであんな国(日本)に生まれたんだろう。何度も自分をのろった。」
そんな思いをいだく一人の日本人男性が、アメリカのカリフォルニアに来て砂漠を旅しました。
男が砂漠に入ったのはアメリカに来て2年目でした。
砂漠は、男をとりこにしました。
文明を拒否した砂漠のなかで、男が体験したのは、完璧な安らぎと心の自由でした。
それから男はつかれたように砂漠を旅します。
砂漠の中で、彼は少しもさびしいとは感じませんでした。
むしろ生きていること、この世に生まれてきたことを感謝するようになりました。
やがて、彼はアメリカで重要な出会いをします。
ネイティブアメリカンの人たちとの出会いです。
ネイティブアメリカンとは、アメリカの先住民です。
アメリカ大陸には、もともとヨーロッパ系の人びとはいませんでした。
1492年、コロンブスアメリカ大陸にやってきてから、ヨーロッパの白人たちがやってくるようになり、
彼らはそれ以前から住んでいた先住民を追いやってアメリカを建国したのです。
ネイティブアメリカンアメリカインディアンという言い方は、コロンブスたちがアメリカをインドだと勘違いして思いこんだ白人の言い方です。
ネイティブアメリカンの人びとは、人種的には「モンゴロイド」と呼ばれます。
それはアジアの人たちと同じです。
日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、インドネシア人などはモンゴロイドです。


1979年2月26日、
アメリカで皆既日食がありました。
皆既日食を砂漠で見よう、
それは感動的な計画のようでもありました。
日本人のその男は砂漠への旅に出ました。
男がアメリカに来て、3年目のことです。
日食の起こる日の前日の夕方、カーリンという名の小さな田舎町に男は入りました。
店に入って、夕食を食べ、コーヒーを飲んでいたら、店の白人の話題がこの町に住んでいるネイティブのことになり、
その男の悪口を言います。
ネイティブのその男の名前は、ローリングサンダーという人でした。
その名前は、以前どこかで読んだことがあると、日本人は思いました。
確かそれは「砂漠の戦士」と呼ばれる男だったと、環境保護の記事を思い出します。
日本人は家を教えてもらって、ローリングサンダーを訪ね、一晩泊めてもらいます。
翌日男はローリングサンダーに会い、自分の旅の目的が、砂漠で皆既日食を見ることだと伝えると、
彼はこんなことを言ったのです。
「日食を見てはいけない。」
日食の間、太陽も月もその働きを停止する。何かが死んで何かが生まれるときなのだ。
日食の間中、暖かい家の中にはいり、何があっても外に出てはいけない。


日食は朝の8時から始まるはずでした。
日本人はもう日食を砂漠で見ようとは思いませんでした。
日食が始まる、そのときです。
一瞬、静けさが家を包みました。
窓を見ました。
すると
なんと雪、音もなく雪がしんしんと降り続いていたのです。
さっきまで青空だった、その空が重く垂れ込めた灰色に変わっていました。
世界は夜のように暗くなり、男の心は祈りの中に溶け込んでいました。


男は、そのときを振り返ってこんなことを書いています。


   「私はこのときを境に、自分の人生が変わることを確信していた。
   日食を見なかったかわりに、確かに私は何かを見たのだ。
   それは、スーパー・ナチュラルな体験だった。
   一度死んで生まれ変わるという言葉の持つシンボリックな意味を、私ははじめて教えられたような気がした。」


ローリングサンダーは男に話した。


   「わしらが彼ら(白人侵略者)の代表と交わしたすべての条約が、ことごとく反故にされてきた。
   わしらは、この世界が始まったときに、グレイトスピリットによってこの島に置かれ、この大地はわしらの母親だからそこをしっかりとバランスをとって守るように言われた。
   わしらはだから、マザー・アースと呼ぶ。
   おまえたちは自分の母親を切ったり貸したり売ったり、できると思うかね。」


この日本人の男は北山耕平という人です。(『ネイティブマインド   アメリカ・インディアンの目で世界を見る』<北山耕平  地湧社>)
日食を観察して、人生が変わった、あるいは自分の進む道が決まったという人がいます。
科学の道に入った人もいます。
何がきっかけになるか分かりません。
見ることによって、何かが変わる、
見なくても、そのときに心をすまし、何かを感じ取ることで、自分の何かが変わることもあるかもしれません。