大雪山遭難とリーダーの判断


8人が遭難死した大雪山系、ツアーのガイドの問題が報道されている。
宿泊した避難小屋を出発するとき、
「出発を取りやめたほうがいい」という何人かのツアー参加者の意見をガイドが受け入れずに出発したというものだった。
外は激しい暴風雨だ。
前日も風雨の中を歩き、
疲労が身体に残っている。
それでも午後には天候は回復するだろうと、ガイドは判断して出発した。
参加者はそれに従った。
成り行きとして、リーダーシップをとるガイドの言うことを信じて行動を共にすることになってしまう。
よほど体調が悪くない限り、私はここに残ります、というメンバーはまず存在しない。
そのとき限りの寄せ集めのパーティで、おまけに日程を決めたツアーだったから、なおのこと計画通りが優先した。
そして風速20メートルもの風と雨の中で次々と倒れていった。


このパーティのリーダーシップをとったガイドたちは、そのときどんな判断をし、どんな行動をとったか、
それを検証しなければならないと思う。


山に入ったときから、メンバーひとりひとりの体力の状況を、ガイドは把握していたか、チェックしていたか。
避難小屋に泊まったとき、メンバーの衣服、特に肌着はどんなものを着ていたか、防寒、防風、防雨の装備は万全であるか、
チェックしていたか。
高山の暴風雨はどんなものか、それにさらされると人はどうなるか、その怖さを知っていたか。
コースを熟知し、最悪のときどう対処するか、どこに避難するか、そういう予想をたてていたか。


そして、人間のおちいるワナ。
人は状況に背中を押されて行動してしまう。
いったん動き出すと、人の頭は目的地に向かうことにのめりこむ。
集団になるとさらに変化しにくくなる。
みんなの動く方向に合わせてしまう。
あげくのはてが、どうにもならなくなり、気づいたときはすでに遅し。


人間の判断力のいいかげんさ、
人間の判断は狂うもの、甘くなるもの、ゆがむもの。
自然界を熟知することなんて、一生かかかってもできることではない。
そういう未熟人間が、それでも判断し、決断しなくてはならない場面に出くわす。
事実を観察する力も重要。
風はどっちの方向から吹いているか、
雨の量は?
気温の変化は?
知識と、蓄積した経験が生きてくる。
高度100メートル上るごとに0.6℃気温が下降し、風速1メートルで体感温度は1℃下がる、という知識だけではわからない、
変幻自在な自然の変化を恐れる。
危険を直感する力、危険を感じる力も、重要になる。


この事故だけの問題ではない。
たかがしれた人間であるにもかかわらず、リーダーになり、集団を引っぱる。
世界中にわんさと、リーダーになる資格のない「リーダー」が判断をまちがって、
人の命を奪っている。