探しても見つからない


    工房の外壁を貼る


色鉛筆がぽとりと落ちた。
このごろ物を落とすことが多くなった。
老化現象だろう。
足場に上って、板に打つ釘の位置に緑の色鉛筆で印をつけていたら、
小さな緑の鉛筆は、指先から離れて、ひゅーっと緑の草の中へ。
落下地点はほぼあのあたりだと見当をつけ、ぼくは足場から下りて、このあたりだったなあ、と思えるところを、
花やら雑草やらが繁茂している間を探した。
春先にはスイセンが咲いていた。
その後、ムラサキツユクサが咲いた。
ヨモギもスギナも生えている。
生ゴミから生えてきたカボチャが蔓を伸ばしている。
草を掻き分け、
雑草を抜きながら探す。
ところが緑の鉛筆は不思議に見つからない。
落ちた位置と思しきあたりから範囲を拡大した。
それでも見つからない。
これだけ探しても見つからないのか、おかしいなあ、次第に意地になってきた。
もう一度落ちたあたりを特定してみた。
けれども、とうとう見つからなかった。
どこに消えたのか。
緑の中に消えた緑の鉛筆。


キュウリがにょきにょき生るようになった。
つるはそんなに繁茂しているわけではないから、
探すのに苦労はいらない。
一日にキュウリが大きくなる速さは見事なものだ。
二、三日、放っておけば小さなキュウリは化け物キュウリになっている。
毎日、キュウリを収穫しているはずなのに、
不思議なことに見つけられなかった、見落としのキュウリがある。
忍者のように、こっそり隠れて、見逃されたキュウリだ。
忍者キュウリは、見逃された分、化け物のような大きさ、キュウリの王様になっている。
探しても見つけられなかった不思議、
視角にはいらなかった。
見えなかったからそこにはないと無意識に決めていた。
緑の中に隠れた緑のキュウリ。


緑の中に消えた緑の鉛筆。
緑の中に隠れていた緑のキュウリ。
人間の眼の不確かさ。


あの日、中国。
凧があがっていた。
凧は一人のおじさんが揚げていた。
あまりに高くあがった凧を空の中で見つけるのは、通りすぎていく人たちのだれもが難しかった。
それほど凧は小さな点になっていた。
みんな空を見上げて、
どこ? どこ?
と探す。
探しても探しても、黒い点は見つからない。
おじさんの手から空につながっているタコ糸をたどってみても、
曲線を描く糸は途中で空の中に消えてしまう。
やっと見つけた。
見つけて安心。
視線を凧揚げのおじさんのほうに移して、また凧を見る。
もう見えない。
また凧糸を眼でたどる。
その先の空中を眼でなでまわし、凧を探す。
人間の眼の不確かさ。