養蚕を教育の中に


        



カイコを子どもたちで飼育できないかなあ、
地元の小学校で飼育することができれば、いいんだがねえ。
この地域も、昔は養蚕が盛んだった。
今でも養蚕農家だった家が残っている。
長い切妻屋根の総2階の上階が「お蚕さま」を飼う部屋で、1階が家族の部屋になっていた。
繭から生糸をとる作業工場も養蚕組合の事務所だった建物も、近くにある。
小さなその工場は、屋根に換気用の太い煙突状のものが何本か突き出ていて、トタンが錆びている。
使われていない建物だから窓ガラスはあちこち割れたままだ。
養蚕農家は今はもう1軒もない。


もし学校でカイコを飼って、それから生糸をとり、布にまで仕上げることができれば、
いい学習になるんだがなあ。
卵が孵化して小さな小さな幼虫になり、それが桑の葉を食べながら育っていく。
育ちの途中で4回脱皮して繭を作る。
カイコは繭の中でサナギになり、
この繭が絹糸になる。
命の生育を見守り、その産出してくれるものから絹をいただく。
一つの焦点化した教材を継続して究明していけば、
そこから派生して学べるもの、心を養うもの、身に付けることのできるものは限りなく広がる。


ぼくは小学生のころ町の中にすんでいたが、ひとりで蚕を何回か飼ったことがある。
町の文房具屋だったか、カイコを売っていて、
それを5匹ほど買ってきて、菓子箱に入れ、桑の葉を与えて、麦わらをぽきぽき折り曲げて箱にいれ、成長の様子を毎日観察していた。
カイコがマユをつくる前になると、頭を挙げて、しーんと眠る。
白い体は透きとおるようになった。


全国どこもかしこも同じように、学校はパターン化しすぎた。
お定まりの統一教育から一歩も出られない「おざなり」が多すぎる。
その土地にはその土地の特色があり、その地に住む人の織り成してきた文化・伝統がある。
そのなかにその地に育つ子どもたちにとって重要な核になる教材が潜んでいる。
それを発掘し、地元の学校教育のユニークな芯にしていくという発想ができないか。


あるとき、ふっとひらめいた。
この地の養蚕は滅んだ。
しかし、養蚕を生業にしていた人たちは、高齢化したが元気だ。
この人たちが元気なうちに、養蚕を学校教育のなかに取り込むことができないか。
地域には桑の木もあちこちに残り、桑の葉を茂らせている。


この夏、市からの要請で、地元の児童館の小学生高学年児童の指導スタッフに入ることになった。
信州の夏休みは短い。
7月29日から8月18日までの短い夏休み、
子どもたちは学校から放たれて、家庭と地域で一日を過すことになる。
現代の世相では、親が仕事に出ている家では、子どもだけが家に残され、多くは家に引きこもりがちになる。
地域の子ども集団が形成できなくなっているがために、子どもの世界をつくって、遊びや冒険にほうけることもない。
子どもたちが、蚕の桑をとりに畑に行き、野菜の収穫をし、家畜の世話を手伝い、
近所の仲間と川遊びをしたり、魚を釣ったり、
里山の森に秘密の基地を作ったり、
夜明け前から起きだして、カブトムシやクワガタムシをつかまえに出かけたりという、
冒険、探検、狩猟、農、すなわち生きていくために必要な原体験をすることもなくなった。
せめてはと学校や行政が、
イベントのなかに、野外の体験教育プランを組むことはあるが、
それも断片的で表面的に流れるばかり。
子どもの人間形成の芯になる体験はさっぱりと影を潜めてしまった。


じゃあ、この児童館活動のなかに、カイコを飼うという特別メニューをいれられないか。
市役所で行なわれた2回目の企画準備会で提案した。
いいねえ、でも日曜日、休日はどうする、
卵からかえして、マユを作るまでの期間からすると夏休み期間は、ずれているがなあ。


7月6日、春蚕(はるご)の出荷が長野県の飯田市育良であったという新聞記事があり、
飯田・下伊那地方では15軒ほどの養蚕農家が残っていて、750キロのマユが出荷されたという。
出荷を行なっている農協職員の話では、こマユ一つで約1500メートルの糸が取れるということだった。


イデアはいいけれど、児童館の活動の器に、今の段階では入りにくいねえという疑問が強く、
学校の教育の中に取り入れてもらえないかなあという希望を付託して、結局案は稔らなかった。