4月の中ごろ、工房の窓づくりのことで、サッシ工事を業に農業もしているイワオさんを訪ねたら、
「ちょうどそちらへ行こうと、電話してただよ。」
「いやー、そうでしたか、偶然の一致ですね。サッシのことで?‥‥。」
「いや、そうじゃない。ハッハッハ」
底抜けの笑い顔でイワオさんが言い出した。
「コーラス、どうです。ハッハッハ」
この地区にコーラスの会があり、毎月一回公民館に集まって歌っている。
「いま男が私ひとりで、男声がほしい。女房に言ったら、吉田さんに話したらいいかも、と言うだ。
あの人なら入ってくれるかもしれない、と言うからね。」
「コーラスねえ、歌うのは好きですがね。」
「それそれ、やっぱり、じゃあ、入ってくれるかね。」
「専門的に習ったことはないですよ。」
「いやいや、みんなそうですよ。楽しんでるだけですよ。」
20年ほど前から続いている地区のコーラス、月に一回夜に集まって歌っているという。
昔、大阪にいたとき、ぼくの職場の校区に住民の合唱団があり、それに入っていたことがある。
レパートリーにシューマンの『流浪の民』があった。
そのバスのパートは今も少しおぼえている。
合唱の経験はそれと、学生時代の山岳部が歌う山岳部だったこと。
山岳部では2部3部にわかれて、山の歌や外国民謡をよく歌った。
「じゃあ、入りましょうかね。」
「よかった、よかった、よろしくお願いしますだ。」
イワオさんが頭を下げた。
今回一緒に隣の住人Oさんも入会した。
これで男性は3人になった。
Oさんは、穂高にある別の合唱団にも入っている。
そこは少しレベルが高い。
ときどきOさんの練習するバスの歌声が聞こえてくることがある。
一度、『大地讃頌』のバスを歌っている声が聞こえた。
コーラス部の練習は、月一回+α、夜7時半から2時間。
初めて練習に行った時、これまで歌ってきた歌の楽譜を十曲ほど渡された。
指揮と指導は、豊科で「第9を歌う会」にも入っているHさん。
ピアノの伴奏をする若い女性は、後に分かったことではイワオさんの息子のお嫁さんだった。
年配の女性が多い。
タマネギの種栽培をしているKさん夫人は部長だった。
少し腰が曲りかけているけれども、夫とともに農作業に専念し、サークル活動にも熱心にかかわっておられる。
会員は20人ほどだ。
歌は主に童謡や多くの人に愛されている歌曲が多い。
いきなり練習は日本古謡『さくら さくら』の三部合唱だった。
「男性が3人になったので、バスが心強いです。」
Hさんと男3人のバスがよく響く。
春から初夏にかけて、農村は農繁期だ。
それにもかかわらず、このような会が根づいているところに、地域の文化度が現れている。
6月には、介護のデイサービスを行なっている保健センターで、歌声を披露して、介護を受けている人たちと一緒に歌った。
この日、特別メニューを用意していた。
それは昭和初期につくられた地元の小学校の校歌を練習していって、デイサービスに来ている人たちと一緒に歌うということだった。
文語調の歌詞で、メロディも昔の感じ。
70年ぶりに歌ったという人もいた。
何十年も前、小学校で歌った校歌は、体の奥にしみこんでいるのだろう。
車椅子に座って頭を上げず、うつむいたままの人が、この校歌のときに歌いだした。
なつかしい子どものころの歌がよみがえることで、心が開かれ、体も反応し始める。
「今日の日はさようなら」でしめくくった最後の合唱に介護士からアンコールが出た。
それではもう一度、と小学校校歌をまた歌った。