ネズミから始まった恐ろしい出来事




アルジェリアのオランの町、
194*年の四月十六日の朝、
医師ベルナール・リゥーは、診療室から出かけようとして、
階段口のまんなかで一匹の死んだネズミにつまづいた。
こんなところにどうしてネズミの死骸があるんだ、おかしなこともあるものだと思って、
建物の門番に話すと、だれかのいたずらだろうと応えた。
その日の夕方、リゥーが外出から帰ってきて玄関の鍵を開けようとすると、
廊下の奥からよろよろと走り出てくるネズミがいた。
ネズミはよろつきながら、鳴き声をたててきりきり舞いをし、
やがてくちびるから血を吐いて倒れた。
四月十七日、
門番は、死んだネズミが廊下に三匹置いてあるのを発見し、きっとだれかの悪ふざけだと、リゥーに腹立ちをぶちまけた。
その日、リゥーは往診に出かけた。
貧しい人たちの住んでいる地区の一つの通りを行くと、
捨てられたゴミの上に死んだネズミを見つけた。
数えると十二匹だった。
患者の一人の家に入ると、
ぜんそく病の老人は、隣家で三匹のネズミが死に、
この界わいのゴミ箱というゴミ箱にネズミの死骸があるとリゥーに告げた。
老人は飢饉のせいだと言う。
四月十八日の朝、
駅へ出かけたリゥーは、
家々のゴミ箱がネズミで一杯になっているのを見た。
リゥーは、市役所に電話をかけた。
鼠害対策室の課長は、役所でも50匹ぐらい発見されたという。
しかし、課長は、これが事件になるのかどうか、役所が動くべきなのか分からないと迷っていた。
課長は、命令さえ出れば、動くのだがと言う。
市民が不安になり始めたのはそのころからだった。
工場や倉庫から、何百というネズミの死骸が吐き出され、
市のいたるところに、ネズミの死骸が積み上げられた。
新聞の夕刊がこの事件を取り上げた。
役所は会議を開いた。
毎朝明け方に、ネズミを集めて、焼却場で焼き捨てるよう命令が発せられた。
ところが、二台の車では対処できないほどネズミは増え、
明るいところへでてきて死ぬネズミは街のいたるところに見られるようになり、
小さな山をなした。
夜歩く人は、ネズミの柔らかい死骸を踏んづけるようになった。
状況はさながら人間の住んでいる大地そのものが、たまっていた膿汁を排泄するようでもあった。
ラジオは告げた。
二十五日一日で、6231匹のネズミが焼き捨てられたと。


そして、ついにそれは人間に現れた。
リゥーはその患者を診察する。
彼のわきの下と、そけい部に激しい痛みが起こり、
三十日、熱は四十度に達した。
リゥーはそのとき初めて、隔離しなければならないと感じる。
病院に連絡を取り、救急車が患者を運んだ。
だが、患者は土気色になり、リンパ腺に肉を引き裂かれ、息はきぎれになり、
ついに息を引き取る。

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こうしてペストの流行感染は始まりました。
アルジェリア出身の作家カミュの小説『ペスト』です。
カミュは、ペストと闘う人間を描きました。
急性伝染病ペストは、つぎつぎと人間を襲い、
大流行になっていくのです。
たくさんの人が死んでいきました。
この小説は、世界中でたくさんの人が読みました。
ペストは何かのたとえではないかと思う読者もたくさんいます。
命を奪う流行は、病気だけではありません。
社会のなかに広がっていく現象で、人間の体や心を破壊していくものがあります。
今も、世界でさまざまな、社会のひずみによって奪われていく命があります。
小説は、そのようなさまざまなことを考えさせてくれるものでもあります。
小説『ペスト』を読むことを勧めます。
中学生にはちょっと難しい言葉や表現、内容もありますが、
高校生ならぜひチャレンジしてください。